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2004年1月の記事

続・病院でのはずかしいこと

 ときどき、新小金井にある近藤皮膚科クリニックに通っている。サイトでは、タレ目のカワイイ写真を使っているが、実は銀縁メガネをかけていて、一見するとクールで神経質そう。

 しかし、見た目とは違って気さくな先生で、診察室からしょっちゅう「ワッハッハ〜」と笑い声が聞こえてくる。何だか診察が楽しく思えるから不思議だ。

 私は一昨年、足の付け根にできた粉瘤(別名アテローム)の手術を受けた。粉瘤とは皮膚の下に袋ができ、そこに角質や汗などがたまり、おできのようになるもの。何年か前から腫れたり、治ったりしていたのだが今回のは触るのもつらいほどだった。

 足の付け根という場所柄、診察には躊躇したが、とにかく痛いので診てもらう。「どれどれ、見せて」という先生に対し、思わず「パンツは下げますか、めくりますか?」と聞いた自分がなさけない。先生は静かに「どっちでも」と答えた。私はしばらく考えて、パンツの脇を少しだけズリ上げることを決心した。

「ああ、これは中まで切らなきゃダメだね。治ってもまた再発するよ」と先生。とりあえず患部を少しだけ切って、炎症がひいたころ手術を行なうことにした。

 手術までの間、幾度となく病院に通い、患部を診察してもらう。そのたびに私は「今回はパンツを下げたほうがいいですか?」と聞き続け、先生は毎回「どちらでも」と答えた。
 手術日当日。さすがに今回はパンツを下げねばなるまい。案の定、先生は「下着をちょっと下げてください」といった。いよいよ、パンツを下げるときが来た! 全部をベローンと下げるのもはずかしいので、患部のほうだけをズリ下げる。

 先生はおもむろにCDをかけ「こういう曲、イヤだったら変えるよ」といった。何の曲かは知らないが、クラシックだったように思う。クラシックの流れるなか、ベッドに横たわりパンツを下げている私。とても複雑な気分だ。このときほど「嫁に行っておいてよかった。子どもを産んでおいてよかった」と思ったことはない。嫁入り前だったら、ひと晩じゅう泣き通したに違いない。

 手術は無事終わり、時間とともにその傷跡も薄くなった。

 つい先日、別の件で診察を受けた。先生はパソコンの電子カルテを見ながら「そうそう、あの傷は大丈夫?」と聞いた。とっさに「おかげさまで……。見ます?」と、パンツを下げようとして止められた。人間、慣れとはおそろしいものである。

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病院でのはずかしいこと

 ここのところ、すっかりシケっぽい話が続いてしまったので、ちょっとだけ変な話をしたいと思う。

 病院というところは「子どもが生まれた!」なんていう場合をのぞいて、できれば行きたくない。カラダに何らかの不具合があって仕方なく行くのだが、検査や手術でもっと痛かったり、つらい思いをさせられる。そんなトラウマを抱え、緊張しながら病院を訪れるので、いろいろな面で失敗することも多い。

 以前、原因不明の腹痛が続き、病院に行ったことがある。先生は問診のとき、こんなことを聞いてきた。
先生「お酒はどのぐらい飲まれますか?」
私 「日本酒なら1升です!」
先生(無言。何やら考えている)
私 (にっこりと微笑む)
先生「あの、週に何日ぐらい飲むかを聞いているんです」

 先生は確実にあきれていた。まるで「そんな飲むなら、腹が痛くなって当然だ」とでも、いいたげな顔だった。

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Thanks!

 最近、事情を知った方からたくさんのお見舞いメールをもらった。ほとんどが私と同じようなつらい経験をしている(した)人たちばかり。同病相憐むじゃないが、とても元気づけられている。

「やりたいことが分かっている人は、それを精一杯やればいい」本当にそう思う。たまたま母と電話をしていたのだが、こんなことをいいだした。

「もしも、転移があったり、手術がうまくいかなかったとしても、隠さずに教えてちょうだい。病状を隠されたまま、死ぬのはイヤ。死ぬなら死ぬで、それまでにやりたいこともあるから」

 私が母の立場だったら、きっと同じことをいう。死ぬか生きるかだけじゃなく「やりたいことがやれる」こと、それが人にとってのシアワセなんだと思う。

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まわりの反応

 保育園のお迎えのついでに、娘と一緒に母の仕事場へ行ってきた。お客さんがいて、何やら話していると思ったら、母が病気を知って飛んできた同業の女性だった。明日(というか、もう今日なのだが)、病院へ行って、そのまま入院ということもあり得るので、仕方なく何人かにはガンだということを話したようだ。

 母いわく「今日は入れ代わり立ち代わりで、みんなが来てくれたので忙しかった」とのこと。長年、一緒に仕事をしてきた社長はショックで、ひと晩中シクシクと泣いていたらしい(社長の奥さん談)。男ってやっぱり、精神的に弱いんだなあ。母本人は告知のあと、家族の前でも友達の前でも我慢して泣いていないのだが、まわりがみんな泣くのでつらいとこぼしていた。ありがたいけれど、つらいという。

 夜、あまり気がすすまなかったが、夫の実家に電話を入れる。先日のカキがとてもおいしかったと伝えてから「実は母が……」と切り出した。広島のお母さんは「ええっ?」といったきり、ものすごく戸惑っていた。こっちまで、何をいっていいのか、わからなくなる。だから、嫌だったんだ。電話するの。

 今晩はちょっと眠れそうもない。

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決意

 昨年末、60歳の健康診断を受けていた母が、再検査の結果、直腸ガンと診断された。今朝、病院から組織検査の結果が出たと連絡があり、仕事で行けない母の代わりに、私と父が病院へ行ってきたのである。内視鏡検査の段階で、腫瘍が見つかっており、家族全員が覚悟は決めていたが、結果を聞いたあとはやるせない気持ちでいっぱいだった。

 父のショックは相当で、仕事中の母に連絡するのがつらいという。ならばと私が、電話をかけて本人に告知した。母は「やっぱりね」といい、仕事を休む段取りにアタマを抱えた。
「仕事なんて、どうでもいいじゃない。病気を直すことだけ考えないと」などと叱ったのだが、ひとりで切り盛りしてきた仕事だ。後々のことを考えてしまうのも、仕方がない。

 正直なところ、私自身もショックでつらかったが、本人がいちばんつらいに違いない。病院からの帰るクルマの中で、ちょっとだけ泣いてしまったが、家に戻ってネットでいろいろと調べているうちに「こうなったら、とことんやるしかない」と冷静になれた。

 病気に立ち向かうには、何より本人の気力が大切だ。「売られたケンカは買う」じゃないが、ガンだろうと何だろうと「そっちがその気なら、こっちもやったるで」ぐらいじゃないと負けてしまう。どっぷりと落ち込む父はアテにできないので、私が元気の音頭取りをしよう。そう、決意した。

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酒は怖い

 以前もここに書き込んだが、OL時代は毎晩、新宿で飲み歩いていた。妊娠してすぐに飲むのを辞め、いまではすっかり控えめになっているが、若いころはホントにすごかったのである。ひと晩で、日本酒なら1升を空けていた。もちろん、ひとり分。飲みっぷりのよさに、1度訪れた店では必ず顔を覚えられた。

 あるとき、店のオヤジが「そんなに日本酒が好きなら、利き酒で勝負しろ! 5杯の日本酒を飲んで銘柄を全部当てたら、会計をタダにしてやる」といい出したので「売られたケンカは買う!」とばかりに、チャレンジしてみた。単なる飲んべえであって、グルメではない。舌には自信がなかったが、引くに引けない。1杯目、2杯目、3杯目と順調に当てた。オヤジの顔色がちょっと変わった。4杯目を当てたころには、店中が熱気に包まれていた。さて、5杯目。飲んでみたところ、独特の香りに覚えがあった。まだ、このお酒が大流行する前で、都内でもこれを置いている店はほとんどないころである。私は答えた。「上善如水(じょうぜんみずのごとし)でしょ!」オヤジはいまにも泣きそうな顔をして、こういった。「持ってけ、ドロボー」

 そんな酒好きの傾向は小学生のころ、すでに現れていた。私が生まれ育ったのは東京の福生市。のどかな田園地帯でレンゲ畑や牛舎がたくさんあるようなところだ。通学路の途中には、多摩自慢という日本酒の蔵元があって、火入れ(貯蔵前の加熱殺菌)の時期になると、工場の煙突から白い湯気とともに日本酒の香りが漂う。小学生だった私は、工場を囲む塀にもたれかかり、匂いをかぐのが何よりも楽しみだった。あたりが暗くなるまで匂いをかぎ続け、親が探しに来たこともある。「日本酒の匂いが好きだ」と主張する我が子を見て、母親は何を思ったのだろうか。

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保育所を取材した

 土曜日に保育園の取材をしてきた。取材先第1弾となったのは、中町にある回帰船保育所。通常、土曜日はお休みなのだが、どうしても仕事を休めない父母のために、月2回だけ保育所を「オープンルーム」として開放している。取材をお願いしたところ、土曜日ならというので、さっそく出かけたのである。

 ここの施設長の安藤さんは、20年以上の経験を持つベテラン保育士。「のびゆくこどもプラン」の委員をしており、会議で知り合ったのだが、とにかく元気いっぱいの人である。子どもが大好きで、子どもの将来を本気で考えているスゴイ人だ。会議のあとの飲み会では、子どもの話をすると止まらない。小金井の市政についても辛口で、焼酎を片手に「イナバ〜! しっかりしろよ〜」などと叫んでいる。

 保育所のレポートは近日中にコンテンツで紹介するが、自分の知らない保育所を見学するのは、とても貴重な体験だった。夫と娘も連れて行ったのだが、保育所にいる子どもたちがワーッと集まってきて「ねえねえ、コレ知ってる?」「見て見て」と大騒ぎ。まだヨチヨチ歩きの子どもですら、満面の笑顔で歓迎してくれた。あの笑顔を見たら、こっちまでシアワセな気分になれる。子どもってホントにすごい!

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ヌルヌルざんまい

あっくん、ツッコミをありがとう。イカ大根(1/21参照)は翌日、食べた。思う存分、食べつくしたので供養にもなっただろう。

 私を責めるように見つめた目玉よ!

 愛憎の果てを思わせるドロドロの内臓よ!

 さようなら! お前のことは忘れない!
 (なんのこっちゃ……)

 そう。私は安心しきっていた。イカ大根を食べつくしたことによって、みそぎを果たしたつもりでいたのである。しかし、それはかなわぬ夢だったことを知る。

 夫の実家(広島)から1キロものカキが届いた。目玉はないが(あるのか?)、ヌルヌル感はイカ以上。今年のカキはものすごく大きくて、すごくおいしそう。もう、運命には逆らえぬ。思う存分、ヌルヌルに身を投じる覚悟を決めた。

 大量のカキをザルに投入して、手で洗う。冷たいうえに、デロンデロン。そして、パフパフ(小麦粉)→トロトロ(卵)→ジョリジョリ(パン粉)→ジュワッ(揚げる)で完成だ。

 結論。ヌルヌルはおいしい。

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イカ大根

 のびゆくこどもプランの会議がある日は、ものすごく忙しい。なぜなら、いつもよりも早く夕ご飯の仕度をしなくてはいけないから。普段なら、仕事を片付けて保育園に娘を迎えに行き、それから買い物をして夕飯を作ればOKなのだが、会議がある日は最低でも5時半には夕飯が完成していなければならない。

 5時半といえば、まだ夕方である。そんな時間に夕飯の完成品ができていること自体、あり得ないのだが今日は仕方がない。仕事の合間にスーパーへ行ったところ、イカが一杯98円という値段だったので思わず買ってみた。先日からイカ大根を作りたかったので、衝動買いをしてしまったのである。

 5時半までにイカ大根を作るためには、3時すぎから仕込まなくてはならない。このクソ忙しい日に、なぜイカ大根なのか。我ながらやるせない気持ちいっぱいでイカをさばく。

 イカはとてもおいしいのに、どうしてこんなにさばきづらいのだろうか。腹の中に手を突っ込まないと、内臓は取れないし、とにかくヌルヌルしている。黒くてグリンとした目玉は、包丁を持つ私をジッと見ていて、何かを訴えている。その昔「飽きたから」という理由で、別れた年下の男を思い出す。

 懺悔をしながら作ったイカ大根は、とてもいい出来だった。味がしみていていい感じ。会議の時間が迫っていたので、味見しかしていないが、明日は絶対に食ってやる。別れた男のためにも食べてあげるのか供養というものか……。

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羊の贈り物

 私がOLをしていたころは、まさにバブルの真っただ中であった。毎晩のように飲み歩き、会社のタクシーチケットで帰るのが当たり前だった時代だ。当時の会社は新宿の高層ビルだったので、飲むのは当然、歌舞伎町や2丁目である。バーやショーパブ、クラブ、おかまバーなどをはしごしていると、いろいろな人と顔見知りになるが、私はなぜか外国人に声をかけられることが多かった。
 
 そのなかでも忘れられないのはジョンという男だ。いきつけのバーで声をかけてきた彼は、流暢な日本語を話す黒人だった。その後も偶然、バーで顔を合わせ、すっかり仲良くなったのだが、話を聞けば聞くほど、あやしい匂いが漂ってくる。

 出身地はアフリカのケニアで、父親は医者。実家はものすごいお金持ちで、仕事は超大手コンピューターメーカーの通訳。友人とルームシェアしていて、高井戸あたりに住んでいる。

 思わず、ホントかよといいたくなる経歴の持ち主である。そんな男が、数回会ったのちにこんなことをいい出した。

「君はお酒が強いんだね。ケニアではお酒の強い女はもてるんだ。君と結婚したい。結婚してくれたら羊をたくさんあげる」
 
 私は丁重にお断りした。羊などいりませんと……。

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警察のお世話

 マッタリとした田舎感が魅力の小金井市だが、最近はホントに物騒で毎日のようにパトカーや消防車のサイレンが聞こえて来る。

 若きOLのころは毎晩、新宿で飲み明かしておまわりさんにからんだり、叱られたりしたこともあったが、今はすっかり善良な国民として生活しているので警察のお世話になることはない。それどころか「酔っぱらって道路で寝ているオッサン」を見つけて通報したり、お金を拾って届けたりと国民の義務を果たしているほどだ。

 以前は痴漢を捕まえたこともある。電車に乗ってすぐ、ある女性の様子がおかしいことに気づいた。よくよく見てみると、彼女の後ろに立っている外国人の男が、腰を動かしていた。思わず、そいつのジャケットを引っ張って彼女から引き離すと、男が逆ギレし、車内で大ゲンカになったのである。見かねたおじさん数人が、男を取り押さえてくれたのだが、男はものすごく暴れて車内も駅も大騒ぎだった。

 用事を済ませて帰宅したところ、警察から連絡が来ていた。「男を調べたところ不法滞在で、即逮捕しました。事情聴取に来てください」という内容だ。翌日、警察に出向き、みっちり2時間事情聴取して、調書にサイン。取調室で刑事さんが2人いて「腰の振り具合はこのぐらい?」「いえいえ、もう少し激しく」「このぐらい?」とシミュレーションしたのには笑った。調書には「男はまるで獣のように腰を打ち付け……」と書かれていた。

 男との面通しもあった。ドラマのようなマジックミラーじゃなく、取調室でご対面である。男の恨めしそうな顔が今でもまぶたに浮かぶ……。そして私は「交通費です」と出された3000円をもらって家路についた。

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逢い引き第2弾

 連休だというのに夫が仕事だった。

「ママ〜、今日はドコ行く?」と無邪気に微笑む娘。外を見てみると、隣りに住む大家さんちの木がものすごい勢いで揺れている。寒いよ、絶対。今日は自転車しかないというのに、この突風のなか、どこへ行けというのだ。

 ため息をつきながら外を見つめる私。気分はすっかり深窓の令嬢。「じいや、外はどんな世界かしら?」「汚(けが)れたことばかりでございます。ご存知ないほうがお嬢様のため……」「そう、やはりお家がいちばんね」

 そうそう。お家がいちばんなのである。しかし、娘の執拗な攻撃は終わらない。「公園? おつかい? 自転車のる?」そんなとき、同じ小金井市民の男友達から電話が来た。「犬の散歩に行くけど一緒にどう?」まさに渡りに舟とはこのこと。完全防寒の体制で準備を整え、小金井公園へ。人工芝の丘でソリ滑りをしたり、散歩をしてたっぷり遊び、娘も満足気だ。

 この男友達とはもう10年以上の付き合いであり、今では家族で世話になっている。3人+2匹で歩く様は、どう見てもファミリーだ。犬連れ、娘連れではあるがレッキとした「夫の居ぬ間の逢い引き」状態。

 夫が帰宅したとたん、娘は「あのねえ、あっくんとワンワンと公園行ったよ。楽しかったよ」と報告。夫は「ヨカッタねえ。楽しかったんだ」と答え、笑顔で終了。いつもながらオトコとの逢い引きに寛大な夫であった。

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分厚さコンテスト開催

 仕事が一段落したので1月20日(火)に行なわれる、のびゆくこどもプラン小金井市民推進会議の資料に目を通す。会議はいままでに3回やっただけなのだが、資料の厚さはすでに8センチを突破した。
 あまりの分厚さにうんざりしたので、我が家にある出版物で「分厚さコンテスト」を開催してみた。ものさし片手に本棚をさまよう姿は我ながらなさけない。

第5位 厚さ約2.5センチ
    ニッセン秋号(2003.8発行)
    ニッセン(通販)カタログがここに入った時点で、
    こんなことはやめておけばよかったと激しく後悔。

第4位 厚さ約3センチ
    アスクルオフィスカタログ(2003.9発行)
    やっぱりやめておけばよかったと再び後悔。

第3位 厚さ約4センチ
    職業別タウンページ(2003.8発行)
    どうにもならない虚脱感に襲われる。

第2位 厚さ約4.5センチ
    三省堂新クラウン英和辞典(1977.11発行)
    1977年発行という化石が発掘される。

第1位 厚さ約5センチ
    ぴあシネマクラブ洋画編(1994.1発行)
    よく見たら図書館から借りて早○年だった。
    もう、どうでもよくなってきた……。

 結局、会議の資料は厚さをはかって終了。

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ババロアがうまい

 大晦日にチェックをお願いしていた原稿が、取材先から続々と戻ってきているので今夜は徹夜作業になりそうだ。仕事が忙しくて殺気立っているときは、気分転換に料理をすることが多い。締切りを抱えていて、どうにも原稿が進まないときは、夜中にロールキャベツを作ったり、朝食の下ごしらえをしたりする。今日はイチゴが安くなっていたので、ひさしぶりにババロアを作った。

 作り方はゼラチンと砂糖を温めた牛乳で溶かし、生クリームとペースト状にしたイチゴを加えるだけと、いたってカンタン。生クリームをハンドミキサーで泡立てていると、イライラが吹っ飛ぶし(あまり、リキむとクリームも吹っ飛んでしまうが)、混ぜ合わせた生地を容器に入れ、ベランダにぶん投げておけば、夜の寒さでほどよく固まる。明け方にでも冷蔵庫へ移せば完成だ。

 甘酸っぱくてフワフワのババロア、娘は気に入ってくれるだろうか。(コレ、クシャってる〜とかいうなよ……)

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新年早々に腹が立つ

 プロフィールにもかかれているように、ここでは特定の政治団体に対する「支持」「攻撃」はしないのが約束ごとだ。しかし新年早々、腹がたったので「さしさわりのない範囲」でかくことにする。

 昨日、我が家のポストにとある市議会議員のチラシが入っていた。いままではそのままポイ……なのだが、のびゆくの委員になってからというもの、市報や新聞、チラシに目を光らせるようになった。

 その市議会議員はごていねいに「12月の議会報告」をしているのだが、特別職(市長や助役)や市議会議員の役職加算を解凍することについては、ひとことも触れていない。

 これは市の人件費率が高い、財政難という理由で、平成10年から凍結されていた役職加算(つまり、ボーナスカット)が「まだまだ厳しいんだけど、ちょっとだけ人件費率が下がったからさぁ、カットしていた分を元に戻そうよ。賛成〜!」ということ。そんな大切なことをかかずに議会報告だなんて、トンデモナイ。そして、チラシの裏面には、こんなことがかいてあった。

 地方自治体の経営指標である経常収支比率は100%を超えると危険水域だといわれている。本市では昨年度より90%台に改善されました。理想的には80%台といわれており、なお改善する努力が求められています。

 やっていることと、いっていることが矛盾しまくり。

 私は仕事がら、いろいろな飲食店の取材をしたが、店主の性格も料理も最悪……なんてこともあった。仕事なので本当のことをかくわけにもいかず、さりとてウソをつくのも良心がとがめる。そんなときは「木をふんだんに使ったナチュラルな店内では〜」とか「駅からすぐというアクセスのよさに加えて〜」など、まったく店主や料理とは関係のないネタで、原稿を埋めていた。

 この議員も同じ。自分のボーナスが実質アップになったことを、あえて「ご報告」しないことで「隠してないよ。かかなかっただけ」といいわけできる。

 それにしても市長の個人サイトも、ちゃんと更新くれ。「市長に就任して、行財政再建に取り組むために、まず自らの給与とボーナスをカットしました!」とかかれたまま。本当はこの後に「でも、ちょっとよくなったんでカット撤廃!」ってかかなくちゃダメじゃん。

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あけましておめでとう

 年が明けたので、しんみりと2003年を振り返ってみる。

 まだまだ赤ちゃんと思っていた娘の、大人びた口調にドキンとしたり、友人のご主人が亡くなられたり、親友が心の病をわずらったり、父親が倒れて入院したり……。また、家庭と仕事のことで手一杯だった私が「小金井市の子育て」を考えざるを得ない立場になり、いまだ環境の変化にアタマがついていかず、四苦八苦している。自分はなにも変わっていないはずなのに、まわりの変化についていけない1年だった。

 しかしその反面、まわりの変化に多くのことを学んだともいえる。大人びてナマイキになった娘を見守る余裕ができた。友人のご主人のことをキッカケに、自分が死んでしまったときのことをほんの少しだけ考えた。また、ひさしぶりに親友とゆっくり話す機会ができたし、父に対して献身的な夫をうれしく思ったりもした。

 今年はいったい、どんな年になるのだろう……。

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