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2004年2月の記事

イケメン

 ここや掲示板によく書き込んでくれているoomoriさんは、小金井市の学童保育連絡協議会(学保連)の会長なのだが、一部のお母さんたちから「イケメン」といわれている。私自身は直接、話をしたことがないが、会議で同席したことはあるようだ。「あるようだ」と書いたのには理由がある。実はいまだにoomoriさんがどの人なのか確信が持てないでいるのだ。

 会議や審議会で同席しているはずだし、小金井市にそれほどイケメンがいるとは思えないので「たぶん、この人だろう」とマークしている男はいる(ストーカーかよ)。ただ、それを確認できる機会がない。あいまいなイケメン判定で「oomori発見!」などと声をかけ、まったく別の人だったらはずかしすぎる。まあ、小金井市のイケメン発掘には貢献できるのかもしれないが……。

 しかも微妙なもので、私が思うイケメンと、他のお母さんたちがいうイケメンとはズレている可能性がある。他人よりもイケメン判定ゾーンが高ければ、プライドは守られる。反対に「えー、こんなのがイケメンだと思っているの?」という悲しい結末もあり得るのだ。

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腹具合

 昨日、母の主治医に呼ばれて病理検査の結果を聞きに行った。幸い、リンパ節や他の臓器への転移はなく、抗がん剤による治療も必要ないという。告知以来、最悪のパターンばかりを考えていたので、ようやくひと安心といったところだ。こうなったら、信仰心もないクセに「最後の神頼み」で通っていた神社へ、お礼参りに行かねばならない。

 母は13日に手術をして、21日に抜糸をしている。1週間ちょっとで30センチも切った腹がくっついてしまうこと自体、まさに人体の不思議、オカルトである。しかも、縫い目はものすごいザクザクで、手縫いのぞうきんのほうがまだマシな出来だ。母も同じことを考えていたようで、抜糸の前日にはこんなことをいっていた。

「くしゃみをしたとたん、ボタンが弾けるみたいにブリブリブリッと傷が開いたらどうしよう」

 そんなわけがない。あったら怖すぎる。

 もはや、ガンであることよりも腹具合が心配らしい。あまりのバカらしさに私は「ブリブリよりも、転移しているかを気にしなさい」とツッコミを入れるしかなかった。

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スパイウェア

 私の愛機はMacなのでウイルスとはあまり縁がないのだが、最近、巷を騒がしているスパイウェアにやられたらしい。スパイウェアとは自分の知らないうちに、勝手にPCにインストールされるプログラムのことで、個人情報を収集したり、ブラウザの設定を書き換えたりする。知らない人はヤフーBBマガジンの記事がわかりやすいので読んでみてほしい。

 スパイウェアにやられたのはワケがある。ここ数日、私と夫は確定申告の書類を作るため、私のマシンを交代で使っていた。あるとき、パソコンを立ち上げると「お気に入りツールバー」に見なれぬURLがある。なんだろうとクリックしたところ「パ○ズリ倶楽部」が出てきたのである。

 ははーん。見たな、エロサイト。
 
 私はすぐに状況を把握した。そして3時間後、夕飯をモリモリ食べながらこう切り出した。
「正直にいってほしいんだけど、エロサイト見たでしょ?」
 
 夫はハシを持ちながら固まった。そして、しばらく何やら考えてから「うん。ごめん」とつぶやいた。

 パ○ズリが見たかったのは仕方がないが、スパイウェアのことも知らずにエロサイトを見たのは問題である。それなりのセキュリティを施していたものの、普段は私しか使わないマシンが、まさかエロサイトに接続するとは思わず、スパイウェア対策をまったくしていなかったのである。

 夫にこんこんとスパイウェアのおそろしさを説明し、マシンには検知&駆除ソフトを入れた。今のところ、ツールバーの書き換えだけで済んでいるようではあるが、すでに個人情報が流出していたら……と思うとおそろしい。男性のみなさん、くれぐれも御用心を。

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春が待ち遠しい

 ここ数日はポカポカ陽気が続き、いよいよ春の到来という感じ。近所の梅は5分咲きだし、花屋さんにはチューリップやスイートピーなど春の花が並んでいる。実は昨年の秋、ベランダのコンテナにれんげ草のタネを植えており、うまくいけば春に開花するはずだ。

 子どものころに住んでいた福生市には、れんげ畑がたくさんあって、いつもれんげのネックレスを編んで遊んでいた。そのころはまだ田舎の風情が残っていて、道路は鋪装されていないから、雨が降ると靴はドロドロ。また、家のすぐそばは多摩川だったから、2メートル以上もある草むらを探検したり(しょっちゅうマムシに会う)、崖を下ったり(岩や枝で傷だらけ)、堤防で水遊びしたり(落ちると死ぬ)と遊ぶ場所には困らない。

 そんな子どものころのワクワクした気分を思い出して、れんげ草のタネをまいたのだが、今だ芽が出ない。本当なら秋に植えてすぐ芽が出て、春には花が咲くはずなのだが、うちのコンテナは茶色の土があるだけだ。

 実は私は、読売新聞の購読者に無料で配布している「よみうりガーデニング」のライターをしている。ガーデニングのうんちくを書いておきながら、れんげ草ひとつ育てられないなんて……。我が家の春はいつになったらやって来るのだろうか。

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失態

 ウンウンとうなっていた母は、1日たつごとに元気になっていて、その回復ぶりには目をみはるものがある。今日も病院へ行ってきたのだが、歩いたり起き上がるのには苦労するものの、口はすっかり達者になり「部屋が暑すぎる」だの「水一滴飲ませてもらえない」だの、文句をたれるほどだ。

 あまりに元気なので、ネットで拾ったガン患者さんの話をする。
「直腸を切ると、ほとんどが排尿障害が起きるんだって。出たいのに出ないとか、まったくしたくないとか大変らしいよ」
「ふうーん。もうトイレに行っているし大丈夫みたい」
「あまりに排尿障害が続くとね、水を大量に飲ませて、何人ものドクターが見守る中でおしっこさせられるらしいよ」

 ここまで話したとたん、母の「笑いのツボ」に入ってしまったようで、猛烈に笑い出した。当然、30センチも切った腹はキリキリと痛む。「やめて〜、笑わせないで〜」と懇願する母を見ていたら、私もつられて笑い出す。夫はかたわらでキョトンとしている。もう、こうなるとつられ笑いが延々と続く「笑いの無間地獄」である。何がおかしいのかは、もはや意味はない。

 あまりにつらそうなので、逃げるように廊下へ出る。廊下の突き当たりにある応接セットに行き、窓から景色を見るが、どうにも笑いが止まらない。笑いを止めようと声を殺すが、かえってそれがアダとなり、苦しさが増す。

 ガン患者がほとんどのフロアで、外をながめながらうなだれる私。そして、ときおり聞こえる、すすり泣くような声。だれがどう見ても「入院している家族がよほど悪いのかしら」と思うはずだ。確かに近くを通る患者さんや看護婦さんはみな、そっと私から目をそらしていた。

 みなさん、ごめんなさい。私、不謹慎にも笑っていました。

 そして、母の腹のキズが悪化していないことを祈ります。

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祈りの日

 信仰心というものを、まったく持ち合わせていない私であるが、ここ数日はもはや神頼みをするしかなく、毎日神社でお参りをしている。初もうでとは違い、静寂に包まれた神社にひとりいると、心のなかのザワザワとしているものが少しだけおさまる。

 日付けは変わってしまったが昨日、母のガン摘出手術が行なわれた。まんじりとした時間を過ごし、日も暮れたころ、ようやく手術室に呼ばれた。

「手術は問題なく終わりました。開腹して見た限り、肝転移はありません。また、隣接臓器への浸潤(しんじゅん/ガンが周囲に拡がること)もありませんでした」

 執刀医はこういったあと、説明書に大きく「肝転移(−)、浸潤(−)」とかいた。このことばに、どれだけホッとしたことか。あとはリンパ節への転移がないことを祈るだけだ。これは、手術で摘出したリンパ節を病理検査しないとわからない。もしも、ガンがリンパ節に転移していると、他の臓器への転移の可能性が高まる。

 麻酔が切れた母は、痛み止めがあまり効かず「痛い、痛い」といい続けていた。そのくせ、話しかけると酸素マスクをしながら「ずっと待っていて大変だったね。帰っていいよ。ご飯作らないといけないでしょ」などといい、家で子どもを待たせている私を気づかった。

 お参りが効くのかどうかは、私自身よくわからない。ただ、今はあの場所に行くことで気持ちが落ち着き、母の前では泣かずにいられる。神さまも、捨てたもんじゃない。

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あれもこれも

 裏番女房の話は、相当数の男性方をびびらせてしまったらしい。しかし巷では、いわゆるカカア殿下の家庭は意外と平和だというのが定説。いまどき「夫の暴力に耐えしのび……」なんていうのは、流行らないのだ。

 大昔と違って「嫁に行ったからには実家に帰れない」なんてことは、ほとんどないし、DV法もあればネットの弁護士相談だってある。夫が「一家の大黒柱」というだけで、威張れた時代はとうの昔に終わっている。ここまでかいたら、なんだか我が夫も、世の中の男性陣もかわいそうになってきた。男よ、がんばれ。

 さて、ここ数日すっかりと放置状態のサイトになっていたが、どうにも忙しくて手がつけられなかったとイイワケしておこう。確定申告に加えて締切りの原稿書き、そして昨日は母が入院した。入院の数日前からは準備を手伝ったり、ネグリジェを探しまわったりしていた。なぜ、ネグリジェなのかというと、これは開腹手術をしたあとに着るため。パジャマだとズボンのゴムがキズ口が当たり、痛いからだ。

 武蔵小金井や武蔵境のスーパーを探したのだが、あるのは悪趣味としか思えないような花柄のネグリジェばかり。しかも、ムラサキや青といったババアカラーの花だ。もっとシンプルで春らしい色のものはないのかと探しまわったが、全滅だった。

 仕方なくババアカラーのネグリジェを着るハメになった母は、どうにもやるせない表情だった。腹を切る前に落ち込んでどうする。そう、いいたかったが我慢した。

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隠しごと

 ここ数日の間に、2つも夫の隠しごとが発覚し、すっかり機嫌が悪い私。愛人がいたとか、借金があったというような話ではないのだが、隠れて私のせんべいを食った……という話でもない。一緒に暮らしている妻が知っているべきことを「いいづらい」がために、わざと隠していたのだ。

「あえて、いわない」ことは嘘と同じだと思っている。嘘のために、いくつもの嘘をつくことになる。家族のなかで、嘘をつきながら生活をするなんて、とんでもない。まるで「悪い点だったテストを隠す子ども」のようで、ホントになさけない隠しごとではあったが、夫にコンコンと説教をし「2度までは許す。3度目があったら、離婚する。隠しごとがまかり通るような家庭なら、ないほうがいい」と脅した。

 実をいうと私は小学校では生徒会長、中学校では裏番と呼ばれた「説得と脅しのプロ」なんである。生徒会長のときは選挙権を持つ高学年に対し「明るい学校にしよう」などと説得し、中学校では一見普通の女の子でありながら、裏では番長と密着な関係にあった女だ。うちの生徒が他校の生徒にいじめられると、番長をあおってヤキを入れさせたりした。夫を脅すぐらい、朝飯前だ。

 そんな過去を持つ私に、にらまれた夫は相当しょげていた。夕飯もロクに食べられないほどだ。夫よ。まじめに正直に生きなさい。そうすれば、裏番女房はきっと許してくれるさ。

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徹夜のアタマ

 最近ちっとも映画を見ることができず、ちょっとイライラ。というのも、確定申告が近づいていてフリー稼業の私にとっては、1年でもっともつらい時期。なんせ1年分の収支を計算するので、毎晩徹夜だ。毎年「来年こそはこまめにやっておこう」と決意するのだが、3日もすればケロッと忘れ、また地獄を見るハメになる。

 原稿の締めきりもそうだが「早め、早め」がいちばん。それは重々、承知だ。しかし、なぜか危機的状況にならないと持っている能力を発揮できないようで、早めに書き始めてもダラダラズルズルが続き、まったくいい原稿にならない。それとは対照的に「こんなボリュームの記事を、たったのこれだけで書けと?」なんていうときは、ものすごい能力を発揮する。

 以前、女性月間誌の同じ号で32ページ分の取材と原稿を担当したことがあった。確か内容は「涼しく過ごすアイデア」「ひとり暮らしマニュアル」「読者投稿ページ」「街歩きコラム」だ。約10日間を仮眠3時間で書き続けたが、最後のほうは「自分が今、何の原稿をかいているか、わからない」というトランス状態だった。まさに、部族の霊術師だ。

 そんな状態だからゲラ(初校)があがってきて、読んでみると「こんなの書いたっけ」となる。なのに、編集部の反応はすこぶる良くって「いつもと違う感じでイイ!」なんていわれ、複雑な気分。ミュージシャンが覚醒剤などで逮捕され「クスリをやるといい曲が書けた」などと供述しているが、徹夜続きの私のアタマもラリっているのだろうか。

 クスリいらずで神様が降りて来る私。安あがりである。

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日陰の仕事

 ライター稼業を始めて、すでに10年以上の私であるが、駆け出しのころは「人にいえない」仕事ばかりをしていた。

 当時はパソコン通信の全盛期。今のように誰もがインターネットをする時代と違って、掲示板に書き込む女の子はまだひと握り。そんな状態で「駆け出しのライターです」なんて書いた日には、わんさとメールが届き「うちで書いてください」と依頼された。

 とはいえ、そのころパソコン通信をやっていたのは、たいていが「パソコン雑誌」とか「CD-ROM雑誌」の編集者だ。それも、男性向けのものばかり。おかげで親にはとても見せられないような原稿を書くハメになる。

 アダルトCD-ROMのレビューを書いたり、会員制の怪しいBBS(掲示板)に潜入したりする仕事だ。打ち合わせで編集部に行けば、外国人女性のヌードグラビアが散乱していて、男性編集者が必死に局部の修正(クギで削る)をしていたりする。また、ある日を境に編集長が来なくなったと思ったら、海外でクスリをたんまりやって……なんてこともあった。とにかく、危険な香りがプンプン漂う仕事ばかりだ。

 今では大手総合メーカーの販促誌とか、お固いタイアップ記事なども書いているが、おもしろさでいえば駆け出しのころに軍配が挙がる。ギャラは格安だったげど、毎日が刺激的。親にはいえないけれど「ライターという好きな仕事を、生業(なりわい)にしている」ことが誇りでもあった。

 いつか子どもが大きくなったとき「お母さんはこんな仕事もしていたのよ」と自慢しよう。そして、どんなに日陰の仕事であっても「うわー、すごいねえ」といえるような子に育てるつもりだ。

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