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2004年4月の記事

仕事と娘

 なにかがおかしい。こんなに仕事が立て込むなんて尋常じゃない。富士山が爆発するとか、ニッポン沈没とか、きっと何かが起こる前兆じゃーないのか。

 そんなことを考えたところで、原稿は真っ白のままである。

 最近、娘は猛烈に仕事をしている母親が不思議でならないらしく、顔を見るたびに「お仕事するの?」「一緒に寝ないの?」と聞くことが増えた。娘は「仕事は金を稼ぐ手段」だなんて、ちっとも思っていない。だから「遊んでほしいのに遊んでくれない」とか「一緒に寝たいのに寝てくれない」という不満ばかりがつのっている。

 ある日、娘はパックに入っているフローズンタイプのアイス「Coolish」が飲みたいといった。「お家にはないよ」というと、買いに行くとダダをこねる。原稿書きで買い物どころじゃないので「あのねえ、ママはお金がないの。お金がないとアイス買えないんだよ。だからママは、がんばってお仕事をしてお金をもらうんだ」と話した。

「そっかー、アイス買えないんだ」と納得する娘。ヨシヨシ、わかってくれたか……。

 これで一件落着、のハズだったのに、そうはいかなかった。この日から娘のアタマには「ママはアイスを買うためにお仕事しているんだ」とインプットされてしまったのである。

 ひさしぶりにスーパーへ行ったとき、約束していたそのアイスを手にした私を見て、娘はこう叫んだ。
「ママ! お仕事たくさんしたの? お金もらえたの? だから、アイス買えるの? ヨカッタね、ヨカッタねー!」

 ワーイワーイと喜ぶ娘。泣きそうな私。スーパーでこんな親子を見たら、そっとしておいてください。

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つかの間の宴

 24日(土)は保育園の父母会総会だった。約1年間の役員生活もこの日で終わり。とはいえ、のびゆく子どもプランの委員はあと1年あるので、保育園の役員会とはまだまだおつき合いが続く。

 ここのところ、仕事ばっかりだったのでハメをはずすチャンスをうかがっていたのだが、この日の夜は「役員お疲れさん会」があったので、思いっきりぶっ飛ばしてきた。ワインをしこたま飲んで帰り、ひさしぶりに熟睡。激しいノドの乾きで爽快な朝を迎えたときは、なぜか上は半袖パジャマ、下はパンツ一丁だった。

「ねーねー、私、なんでパンツなの?」と聞くと、夫はものすごーいイヤな顔をしながら「上だけでも着せてあげただけ、マシだろうが」と言い放った。

 ……と、いうことは半袖パジャマは夫が着せてくれたのか。

 ……と、いうことはすっぱだかで寝ていたのか、私。

 しばらく徹夜が続いていたからな、しゃーないやんか。そんな、ひとりごとをつぶやきながら、ズボンを履く私であった。

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ジェームス氏

 仕事の話ばかり続いているが、ご勘弁を。

 ここのところ、引きこもり生活が続いていたが、先日は打ち合わせがあって丸の内まで出かけてきた。以前、仕事をしたことのある取引先ではあるが、会社に行くのは初めてだ。「受付で呼んでください」といわれていたので、キレイな女の子が笑顔で対応してくれると思っていたが、受付カウンターにあるのはタッチパネル式の機械と電話だけ。機械で担当者の内線を探して、電話しろってワケだ。10年以上も会社組織から離れてフリー稼業をしていると、まるで浦島太郎のようである。

 しばらくして受付へ現れた担当者の後ろには、なぜか白人男性が……。ワケもわからず会議室に通され、挨拶をする。

「ハジメマシテ。ジェームス デス」

「……!」
(ジェームス? アナタ ダレ?)

 実は私が連絡を取り合っていた相手は「部長」で、今回の仕事の担当者はこの男性だという。思わず、アセる。なぜなら私は高校時代、英語の成績が「2」だった女である。「2」は赤ペンで書かれていて、数字の下に「−」がついていた。それは「追試で合格しないと落第ね」という先生からのメッセージだ。そんな私とジェームス……。どうしろというのだ。

(ボディランゲージ……)

 人間、窮地に追い込まれると、とんでもないことを考える。私はジェームス氏が日本語を理解しているのか、ということを無視しながら、日本語+いつも以上のオーバーリアクションで打合せにのぞんだ。真剣なまなざしで私の話を聞いていたジェームス氏は、こう切り出した。

「poronサン、イヌ カッタコト アリマスカ?」

 思わず私はこう答えた。

「カッタ コト アリマス」

 つられすぎ……。

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原稿と布団とキムタク

 まずはひとつ、片付いた。延々と原稿を書き続け、トンネルの向こうからうっすら光が見えてきたって感じだ。お昼頃に2本分の原稿を送ったあと、猛烈に具合が悪くなった。ずっと寝ないでパソコンに向かっていたから、アタマは痛いし、肩はガチガチ、眼球疲労は最高レベル。

 そんな状態で布団に身をゆだねたら、もう終わりである。わかっていた、そんなことは。でも、甘い誘惑に勝てなかった私。横たわったとき、生まれて初めて「自分のカラダが布団に溶けていきそう」な感覚を味わった。あー、たまんない。ふかふかの布団はもはやカラダの一部である。

 思わずひとり「布団はいいなあ」とつぶやく。まるで、刑務所の固い床で寝続けた男が、務めを終えてシャバに出てきたみたいだ。「いただいた原稿はほぼOKです。もう1ページ、お待ちしています」というメールが届いていることも知らずに寝続ける。

 編集さん、ごめんなさい。原稿を書き続けなくてはいけない身だというのに、私は布団でぐっすり寝ていました。しかも、キムタクとデートしている夢まで見て……。

 シアワセとは何てはかないものなのだろうか。

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どっちもどっち

 おつき合いのある制作会社のクリエイティブディレクターと連絡を取る必要がありメールを送った。

「ただいま、締切りまっただなかで、アタマがモーローとしています。なんだか、ワーイ! ヒャッホウ! という感じです。(意味不明ですが、徹夜ハイってやつですよ)」

 そうしたら、すぐに返事が届いた(原文ママ)。

「ひゃっほ〜〜〜〜!! 徹夜明けのハイテンションに負けてはいけない!!!と思いましたわ。ご同情申し上げます、頑張らずに頑張って仕上げてください」

 とてもビジネスメールとは思えない内容である。脳ミソのくさったライターを使いこなせるのは、こういう人じゃないとダメなんだ。どっちもどっちなんだけど、アナタの勝ち。

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正しい道

 締切りなんである。やってもやっても終わらない無間地獄だ。6月まで仕事が続いていて、まだ4月の半ばだというのにすでに死にそうだ。あえて例えれば、スタート直後に過呼吸になっちゃったマラソンランナー。別に「仕事たくさんあっていいでしょう」と自慢したいワケでもなんでもない。おのれの筆の遅さとボキャブラリーのなさにあきれながら、仕事をしているほどだ。ライターにしてこの欠点は致命的。

 だから、そんな私に次々と仕事を振ってくれる取引先に感謝をしつつ「ホントに私でいいのか。息切れしている私でいいのか」と自問自答する。答えは「イクナイ!」なんだけど。

 そんなんで、こうやって金のからまない雑記をかいて、ストレス解消をしているのだ。金がからむと必死になっちゃうんだよお。

 ところで先日、大森さんと会った。大森さんといえば、以前にもかいたが「会ったことがないけれどイケメンらしいと聞いている学保連会長」である。その大森さんと逢い引きしたのだ。

 はじめて会ったはずの、大森さんはやはりどこかの会議で会っていたようで、見覚えのある顔だった。毒舌がウリだというのに、意外とその口ぶりはソフトである。とある場所に届ける書類を受け取り「これ急ぎますか? 夜中にでもポストに入れておこうかな」といったところ、彼はひとこと、こういった。

「捕まらないようにしてください」

 こんな私でもいちおう女である。「くれぐれも気をつけてくださいね」とか「痴漢やひったくりに注意してくださいよ」というのが道理(人の行なうべき正しい道)であろう。あなどれし、大森。やっぱり毒舌じゃないか。

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〜から〜まで

 リフォーム雑誌で担当している「間取り」と「収納」のリサーチと構成案づくりをしながら、ガーデニング誌に載せる「庭」や「ベランダ」を探すため小金井かいわいを自転車でまわる。しかし「のびゆく子どもプラン」の資料を9日までに提出しなくちゃないないし、依頼が来ている「ポータルサイトの新譜&シネマレビュー」の返事もしなくちゃいけない。
 なぜこんなにジャンルがバラバラなのか。答えは自業自得である(キッパリ)。4/1の「お利口になる私」でもかいたが、要するに好奇心が旺盛すぎて、どんなジャンルでも「えー、私の知らない世界! おもしろそ〜!」となってしまうのである。
 取材先や出版社で「どんな記事をかいているんですか?」と聞かれることがある。そんなとき「キティちゃんからアートトラックまで」と答えると、たいてい驚かれる。「〜から〜まで」の端っこが、なぜキティとトラックなのかは我ながらナゾではあるが。

 キティの仕事は今年に入って辞めてしまったが、6年以上もサンリオのカタログ誌でレギュラーライターをしていた。つまり31歳からやり始めて、37歳まで続けていたというワケだ。
「超キュートなデザインでみんなの視線をクギづけ!」
「遊びゴコロをプラスしたテイストを楽しんじゃお〜」

 読者はこんなキャッチコピーを、よもや37歳の女がかいていたとは思うまい。しかも、コピーのケツにはかならず「ハート」や「星」のマーク入りだ。

 トラックの仕事は、ひとりで一眼レフを担いで地方へ行き、いわゆるデコトラと呼ばれるアートトラックを取材していた。泊まりがけでのんびり過ごせたので、つらいながらも楽しかったが、妊娠を機にお休みしてそのまま辞めてしまった。
 
 取材に行くと、どう見てもヤ○ザにしか見えないようなトラック野郎たちが私を待っていて「お疲れさんです」などと挨拶をする。家が一戸買えるほどの金をつぎ込んだトラックは、ボディに施したペイントといい、ディズニーランドのパレードを思わせるネオンといい、まさに迫力満点である。

 ときには取材の後はトラック野郎たちと居酒屋でおいしいを地酒を楽しむこともあった。飲んだあとは若い衆がホテルまで送ってくれる。玄関にド派手な10トントラックを横付けしたところ、フロントのおじさんが飛び出してきたのは確か盛岡だった。

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酒飲みの血が騒ぐ 

 今日は徹夜で保育園の決算と予算案を作り、昼からはもうひとりの会計係と我が家で最終確認。1時間遅れで役員会へ駆けつけ、一段落したのは夜6時を過ぎたころだった。

 当然、娘は「お腹しゅいたよ〜。ごはん食べたいよ〜」と訴える。さて、どうしようか。冷蔵庫には野菜も肉も魚もあるけれど、今から作っても娘の空腹加減に間に合いそうもない。外も暖かいし、夫は仕事で遅い。

 あれこれ考えたすえ「たまにはママとふたりでご飯を食べに行こうか」と提案してみる。娘は「パパは?」とちょっとだけ夫のことを気にしたものの、すぐさま「どこ行く?」「ママとふたりね」とルンルンだ。風が気持ちいいので、手をつないで駅まで歩くことにする。最近はすっかりことばが上手になって、ちゃんと話し相手になるからおもしろい。ふたりで保育園の話をしながら歩く。

 駅前にふたり席が個室風になっている居酒屋があるので、そこに入ってみる。ファミリー層の多い場所柄か「土曜日だけはお子さまランチがあります」という。とりあえずメニューを広げて娘に「何を食べようか」と聞いたところ、まっさきに指差したのはシシャモだった。

 シシャモってアンタ……。

 まあ、いい。食いたいものを食わせてやろうではないか。「他は?」と聞くと、今度は枝豆を指差し「これがいい!」とキッパリ。結局、無理して頼んだお子さまランチにはほとんど手をつけず、枝豆とシシャモをわしわし食べていた。あとは私が頼んだ海鮮チャーハンと、ぼんじり(鶏の尾骨のまわりの肉。脂がのっていてウマイ)を奪い取ったぐらいか。

 3歳にしてこのセレクトは渋すぎる。酒飲みになることは確実だ。血とはおそろしきものである。

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お利口になる私

 知り合いの編集者からの緊急要請で、とあるリフォーム雑誌のお手伝いをすることになった。すぐさま南青山の事務所へ出向き、話を聞いてみる。なんとも恐ろしいスケジュールだったが、もらったページの内容があまりにも楽しそうだったので、ふたつ返事で引き受けることにした。担当するのは「収納」や「リフォーム」についての読み物ページ。私はこの「読み物ページ」の依頼にいたく弱いのである。

 ライターの仕事は記事の構成によってさまざまなパターンがあるが、大きく2つに分かれる。写真を中心にした「取材モノ」と、文字の多い「読み物」である。取材モノはいろいろな場所に行けるのが魅力だし、カメラマンとの共同作業というオモシロさもある。一方、読み物ページは資料を読み込んだり、プロの話を聞いてわかりやすく原稿にするなど、作業は地味そのもの。ひとつ間違えばひきこもりと大差ない生活が続くのである。

 しかし、私がそんな「地味で面倒クサイ」読み物ページを好きなのには理由がある。取材を重ねていくうちに「またひとつお利口になった私」を実感するからだ。たとえそれが「アタマが良くなるおまじない」といった、どうにも使えそうもないネタだったとしても……。

 いわば、知識のレベルアップ。もはや、読者のためというよりも自分の好奇心を満たすため仕事をしているといっても過言ではない。1カ月後の私は収納とリフォームの小ネタ(あくまでも大ネタではない)を増やした女になっているはずだ。

 ココロが踊る打ち合わせとなったので、紀伊ノ国屋で大好きなイギリスパンを買って帰った。普段は160円のヤマザキパンを買っている私が、浮かれ気分で半斤450円も払った。やっぱりうまかった。

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