2004年10月の記事
張り紙に見る神の声
娘と昼寝をしたところ、夜の7時半になっていた。あきらかに昼寝じゃなくて、単なる睡眠である。寝ている間に男友達あっくんから電話が来ていたので、かけ直す。酒の誘いだったので、ふたつ返事でOKする。場所はおなじみの海風。東小金井にある、沖縄料理を出す居酒屋である。
ここの店は、やたら張り紙が多い。メニューの張り紙にまじって、店主の格言ともいうべき言葉も並んでいる。街中でよく見かける「汝悔い改めよ」「キリストは神の御子」とかかれた看板に似た香り。たとえば、こんなの。
泡盛を飲みながら、何気なく店内を見まわすと目に飛び込む「ぐちゃぐちゃいわないこと」の文字。酔っ払ってぐちゃぐちゃいっていた日にゃ、しょげ返るしかない。横を向けば「いかしたお客さまへお願い」の張り紙。「しゃらくさい行為をした人は即退場」と、かかれている。こんなのが、店内いたるところへ貼りめぐらされているのだ。
酒がつつむにつれ、つい超えてしまいそうになる「節度のボーダーライン」は、こうした張り紙を見ることで踏み止まっている。いわば、抑止力。キリスト看板を見て、我に返る人もいるのだろうが、私は海風の張り紙を見て、我に返る。
キリスト看板に興味のある人はこちらのサイトがオススメです。
オンナとはおそろしきもの
弟は8年もの間、ひとりの女の子と付き合っていた。たぶん、あの子が「初めてのオンナ」だったのだろう。彼女が我が家へ遊びに来たり、弟が彼女の家でごちそうになるなど、親公認のいい交際を続けていた。付き合い始めて数年後には、親も交えた食事会を行ない「婚約」も果たした。
なのに、私は何年たっても彼女が好きになれなかった。甘ったるいしゃべりかた、弟への媚びた態度、私たちへ向ける笑っていない目。自他ともに認める「うさん臭い人間をさぐり出すレーダー」が、要注意マークを点滅しているのだ。でも、私はこのことを誰にも話したことはなかった。なぜなら、単なる小姑のたわごと、と思われるからだ。小さなことが、いくつも積み重なって点滅する要注意マーク。それでも私は「弟がシアワセならいい」と思っていたのだが……。
ある日のこと。彼女は弟に電話をかけ「もう、別れたい。電話もしないで」とだけ告げた。突然の話にパニックになった弟は彼女に何度も電話をかけたが、電話には出ない。数日後、彼女はわざわざ母の勤務先へ電話をしてきて「ストーカーのように電話されて困っている。いただいたものもすべて送るので渡してほしい」と訴えた。
宅急便で届いた段ボールには、弟からのプレゼント、貸したマンガ本に加え、父や母が旅行で買ってきたおみやげまで入っていた。しかし、母が婚約指輪にと買った指輪と、ブランド物のバッグだけは入っていなかった。
男友だちと飲みに行き、酔った勢いで寝た。そして、忘れられなくなった。後日、知った事実である。婚約をしていながら他の男と寝て、一方的に別れを伝え、ストーカー扱いまでしたオンナ。相手の両親からは詫びの電話すらない。弟は自殺でもしかねないほど、憔悴しきっていた。そんな彼を心配しながら、私と母はふたりでこういい合った。
「8年間、タダでやらせてもらったと思えば気も晴れるわ」
我ながら思う。オンナとはおそろしい生き物である。
ウンコの輪、広がる
ウンコ、検尿、子育て支援、と統一性もへったくれもないネタでお送りしている当blog。自分なりに「人に笑われてもいい、蔑まれてもいい」と覚悟しながら書いているネタも多いのだが、私の知らないところでウンコの輪が広がっているような気がする。気のせいかもしれない。いや、気のせい、のほうがいいような気がする。
ちょっと前まで仕事でよく顔を合わせていたカメラマンの湯浅氏。奥様はスタイリストでとてもかわいらしい方。湯浅さんご本人も(歳のわりには若くて)ハンサム。デジタル機材満載の立派なスタジオを持ち、Golfワゴンでさっそうと現場に現れる。そんな彼がウンコネタをblogで発表したのである。
撮影直後に腹具合が悪くなり、機材を担いだ身ではトイレに入ることもままならぬ状態。「漏れそうな感覚」とか「座るとその圧力で出てしまいそう」などのフレーズで書きつづられているのだ。もう、これはウンコの輪、というしかないだろう。
ウンコカメラマン誕生か。激しくワクワクしている自分がいる。トラバしてやろうっと。
湯浅さんのウンコblogはココ。
今から心配すんな
先日、書籍の打ち合わせで中央線に乗っていたときのことだ。車内はギューギュー詰めではないものの、たくさんの人が立っているような状態。ドアの近くにもたれかかり、外をながめていた私だったが、ふと隣の女性が読んでいる本が目に入った。いわゆる文庫本サイズの書籍。女性は私に背を向ける形で、あるページだけを熱心に読んでいた。字面を指で追いながら読む、というほどの熱心さ。
あまりの熱中っぷりに「どんな本なのか」と思い、後ろからコッソリと盗み読み。そこには衝撃的な見出しが掲載されていた。
洗礼を受けた場合、離婚や再婚はできますか?
ををっ! クリスチャンか。この見出しを真剣に読んでいるということは「クリスチャンなんだけど離婚したい、もしくは再婚したい人」なのか。沸き上がる欲望を抑えられず、顔をのぞき込む。
スッピンだ。
目が合いそうになったので、あわてて下を向く。混雑した車内で彼女の服が見えた。スッピン顔と同様、服も地味な印象だ。紺色のジャケットに紺色のスカート、白い靴下。……ん? 白い靴下?
女子高生!
なんと、クリスチャン本を読んでいたのは女子高生だった。いまから離婚だの再婚だのを心配してどうする。「人生長いんだから」と声をかけたくなるのをグッと堪えた私だった。
子育て支援の落とし穴
検尿ネタばかりだと何なので、まじめネタをひとつ。先日、厚生労働省で開催された「新新エンゼルプラン(仮称)策定に向けての意見交換会」へ行ってきた。小金井市の子育て支援計画をチェックする委員をしているので、その参考になればと思い、出かけたのだが、なんともシックリこない。
会場となった会議室は、座る場所を探すのもむずかしいほど、たくさんの人が集まっていた。省庁からは内閣府、文部科学省、厚生労働省、国土交通省の担当者、参加者は全国から集まった子育て支援サークル、保育所、学童保育所、児童養護施設、母乳育児、放課後事業などの関係者が100名以上。雨のなか、これだけ集まったことを考えると、それだけ「新新エンゼルプラン=子育て支援」の関心が高いことがわかる。
しかし、だ。私がシックリ来なかったのは、参加者のメンツである。「国が作る子育て支援策についての意見交換会」のはずなのに、来ているのは「○○協議会」「○○連絡会」「○○の会本部」とかの肩書きつきの人ばかり。しかも、スーツ姿。もう、子どもは成人しました、なんていう年代も多く「いま、子育てをしている人」「これから子育てをする人」が少ないのである。
エンゼルプランっていうのは、少子化対策のはずである。どうすれば、子どもの出生率があがるかがポイントのはずだ。なのに、産み終わっちゃったオバサンばかりが来て、どうする(38歳の私も微妙な立場だが)。もっと若い人が参加できなくちゃ、意見拝聴できないじゃないか。
たったひとりだけ、2人の子どもを連れて参加していたお母さんがいた。小金井市のMさんである。彼女は4人の子どもの母親で、意見交換会にはいちばん下の子をだっこし、もうひとりの子と手をつないで来ていた。ぐする子どもをなだめながら、マイクで意見をいう。
「少子化対策、子育て支援をうたっていながら、こういう会議に子どもの保育が用意されていないこと自体が問題」
前の席に並んでいた厚生労働省の担当たちは苦笑いするしかなかった。本当にその通りだと思う。子育てをしている母親、これから産み育てる人たち不在で、何を語ろうというのか。何を聞こうというのか。本末転倒もはなはだしい、と怒りながら帰宅の途についた。
参考リンク/Yahoo!ニュース - 政治 - 共同通信
検尿のさじ加減
事の発端は光が丘保健センターのトイレにあった張り紙である。ただ、張り紙があった、という話。なのに、ここまで引っ張るとは我ながら恐ろしい。どこまで続くか、検尿ネタ。みなさんの検尿体験もお待ちしています。
ところで検尿マイスター
についた、さりさんのコメントの「そもそも通常の健診検尿に必要な量はチョットでいいんです」というくだりを読んで思い出したことがある。(さりさん、おかげでヤル気が出てきたよ)
娘を妊娠している約10カ月間、病院に行くたびに検尿をしていた。これは、尿タンパクを調べて、妊娠中毒症を早期発見するためだ。私が通っていた武蔵野日赤のトイレは、検尿カップを提出する窓口がない。そのため、尿を取ったら検尿カップを洗面台に置いて手を洗い、カップを持って廊下を歩かなければならない。必然的に他の妊婦の検尿カップを目にすることになる。毎週のように病院へ行き、検尿をしているうち、私はあることに気づいた。カップになみなみと尿を採っている妊婦がものすごく多いことを。
まるで、自販機でコーヒーを買ってきたばかりのように、カップ9分目まで注がれた尿。それを持って廊下をソロリソロリと歩く妊婦。そんな状況に身をおくたび、遠くから「ふりむくなよ」「よろめくなよ」と呪文を唱える私。ぶつかった日にゃ、目も当てられない。地獄絵図だ。
さじ加減を知らない妊婦と、それをハラハラしながら見守る妊婦。産婦人科の検尿をめぐる、パラレルワールドである。
検尿マイスター
「正しい検尿スタイル」についた、さりさんのコメントを読み、あらためて正しい検尿スタイルについて考え直された。そもそも「途中の尿」というのが、ややこしい。その方法について、いろいろと考えてみた。仕事しろよ、私。
■正しい検尿スタイル(上級編)
まずはチョロっとだけ「入口付近の尿」を出す。肝心なのは、膀胱にたまっているであろう尿の全量を正しく予測しなければならないこと。ここで、計算を誤ると「入口付近の尿」を出したはずが、スッカンカンだったという事態になりかねない。真剣勝負である。
「入口付近の尿」を出し終えたら、途中でキュッと止める。トイレに静寂が訪れたそのとき、コップを股間にあてがい後半戦に突入。カップに響く音に耳を済ませ、約1cmの尿がたまるのを待つ。約1cm分の尿が満たされたと同時に膀胱内がカラになれば、君は一人前の「検尿マイスター」だ。おめでとう!
■正しい検尿スタイル(初級、中級編)
「入口付近の尿」を出した段階で止めることができない人は、素早く流れ出る尿をさえぎり、カップをあてる。カップのふちをつたい、尿が手を濡らしてしまう確率は80%。残り20%はカップを濡らすだけで、手に被害を及ぼさずに済むだろう。そこは運しだい。
そして、検尿規定量の約1cmを正しく計測するには熟練の技がいる。最初のうちは「多めに採取、そして捨てながら視認計測」が基本だ。これを繰り返しながら、正しい検尿スタイルの練習につとめよう。
以上。
健康診断で同僚と検尿カップで乾杯したという「負け犬は笑う。」にTBしています。
正しい検尿スタイル
光が丘保健センターのトイレで見つけた張り紙は、検尿を促すものだった(参照/トイレの張り紙)。いままで検尿カップで股間をフタして、尿が出た瞬間から採取していたワタシにとって「途中の尿をコップ1cmほどお取りください」という指令は意外だった。
最初からじゃ、ダメなのか。
これが正しい検尿スタイルなのか。
洗面台に大量に積み上げられた検尿カップを横目に、そんなことを思う。今度からは途中の尿を取ることにしよう。固い決意だ。
トイレを出るとすぐ隣の男子トイレから奇妙な音が聞こえた。入口から覗き込むと、スーツ姿の男が洗面台で何やらしている。
ガラガラガラガラ〜ッ、クエ〜〜ップ!
検尿カップで「うがい」する男。
光が丘保健センター。それは迷宮。
口を出すなら手も出せ
今日は4時から厚生労働省で行なわれる「新新エンゼルプラン(仮称)策定に向けての意見交換会」へ行く。雨は降っているし、薄ら寒いので行きたくないが、小金井市版エンゼルプランを作っている身としては参考になるはず。気合いで行って来るよ。意見交換会が5時半に終わったら、霞が関から小金井市役所に直行だ。7時から9時で行なわれる起草委員会に出席し、意見交換会の報告をしながら今後の作業を話し合う。夕飯はいつ食えばいいんだ?
フリーランサーの宿命として「労働と対価」について考えざるを得ないが、この手の仕事はほぼボランティアにに近い。意見交換会に出ても一銭にはならず、電車賃も出ない。起草委員会は手当てとして10,000円(所得税を抜いて手取り約8,000円)が出るが、勉強のために子育て支援や保育関連の本を買ったりすると足が出ることも多い。正直をいえば同じ10,000円を稼ぐのなら、原稿を書いたほうがよっぽどラクだ。
毎週のように会議に出て、家族団らんは減り、フリーカメラマンである夫のスケジュールを調整させて、保育園のお迎えや世話を頼む。子どもたちのためにやっていることのはずなのに、娘に寂しい気持ちにさせていることのジレンマ。自分の仕事すらセーブしなければいけない現実。
そんな複雑な心境のときに保育園関係の父母から「私は仕事があるので忙しい」といわれると、本当に腹が立つ。忙しいのはアンタだけじゃない。仕事をしているのはアンタだけじゃない、と。そういう人は、手を出さないくせに口だけはキッチリはさむ。しかも、何か自分の思惑と違うことがあると、親の仇の討つかのごとく怒り出すのだ。
「そんな風に決められたら困ります! こうしてもらわないと!」
「じゃ、手伝ってくれる?」
「私は仕事が忙しいので出来ません!(キッパリ)」
そんなことが会社でも通用しているのだろうか。口を出すなら手も出せ。ホトホト、あきれかえるばかりである。
トイレの張り紙
今日(といってもすでに日付けは変わったが)は東京をやや一周。小金井の自宅から渋谷の編プロへ行って、担当とサクッと打ち合わせ。その後、新江古田の版元で打ち合わせ。大江戸線で光が丘まで行って、バスで保谷へ。バスの乗り換えをして、保谷から三鷹へ。中央線で武蔵境に戻って本屋をのぞき、迎えのクルマでようやく帰宅。やれやれ。
移動時間や打ち合わせが長いとトイレに困る。あまり、付き合いの薄い編プロや版元でトイレを借りるのは、なんとなく気がひけてガマンしたのだが、地下鉄でもトイレを見逃して改札を出てしまい、さすがにヤバくなってきた。こりゃ、バスに乗る前になんとかしないと、と思い、光が丘の駅前でトイレを探す。バス停のそばに、なにやら公共施設があったので飛び込んでトイレを借りる。
あ〜、やれやれ。和式トイレにしゃがみ、ホッとひと息。ふと、見上げるとそこには張り紙が……。
も、もう、出ちゃったんですけど。
光が丘保健センターのトイレだった。
複雑な気分の空の旅
先日の日曜日、昭和記念公園で熱気球の体験搭乗をしてきた。以前、公園のwebサイトで参加募集していたのを見つけ、応募していたのだ。もともと土曜の予定だったが、風のため翌日に延期。結局、2日間も公園へ通ってようやく乗ることができた。
気球は2基で80組が順番に乗る。係留されているので、30mの高さまで上がるだけだが迫力満点。アタマの上ではバーナーがゴーゴーと音をたてているし、下を見ればケツがキュッとなる。おそろしくも、気持ちがいい。
気球からは公園はもとより、立川市街まで見渡せた。ふと公園の隣を見ると、陸上自衛隊立川駐屯地や広域防災基地が見える。基地からはいくつものヘリが北へ向けて飛び立っていった。たぶん、新潟への救助支援か物資輸送だろう。被害にあった人たちや、救助にあたる人たちを思い、なんとも複雑な気分の空の旅となった。
続・警察庁の思い出
「警察庁の思い出」では「つづきはまた明日」なんて書いておきながら、3日も経ってしまった。なんだか「もうちょっとで原稿ができます」といいながら、締切りを延ばしているみたいだ。心苦しい。
警察庁の玄関であきらかに挙動不審だった私だが、取材はスムーズに終わった。警部さんいわく「ひとり暮らしの女性は部屋の施錠に気をつけてほしい。屋上から侵入されるケースも多い」という。また「決して暗い道は通らないこと」ともクギを刺された。当時、ひとり暮らしをしていた私は警部さんの話す、実例の数々に「自分も気をつけよう」と決意したのであったが……。
実は取材帰り、女友だちと吉祥寺で待ち合わせをし、たらふく酒を飲んだ。お腹も心もいっぱいになりながら、最寄り駅から自転車で帰る。時間は夜11時。警部さんの「暗い道は通らないように」とのお達しも忘れ、街灯の少ない裏道を走っていた。と突然、目の前に現れた2つの影。自転車をふさぐように立ちはだかる男がいた。キャ〜ッ! 2つの影はなんと警察官だった。おもむろに自転車を止められる私。
「あ〜、ちょっとちょっと。それ誰の自転車?」
自転車ドロボーとして疑われた上に、所持品検査までされる。まあ、酔っ払い運転だもの、仕方がないか。しかし、あまりにエラソーな警察官の態度に、酒の勢いも手伝ってイライラ。ついに、こんなことを口走ってしまった。
「今日、警察庁でも所持品検査されているのに、またですかぁ」
その、ひとことを2人の警察官は聞き逃さなかった。
「なにィ! 警察庁だって? なんで警察庁なんだ!」
「いや、取材ですよ。取材」
「なんの取材なんだ!」
「女性誌の取材です。ひとり暮らしの防犯対策」
「なんていう雑誌だ!」
「おまわりさんはたぶん知らないと思います」
「いいから、いいなさい!」
「チッタ……」
「……」
ほら、知らないじゃん。だから、いいたくなかったんだよぅ。仕方がないので、いただいたばかりの警部さんの名刺を見せる。
「……」
「この人に取材していたんですよ」
「……」
「で、その帰りに友だちと飲んで……」
「帰りなさい」
「は?」
「い・い・か・ら、帰りなさ〜い!」
警部さんの名刺は効果絶大だった。さすがは縦割り社会。
ココログオフィシャルガイド2005
ニフティ監修、インフォバーン発行のココログオフィシャルガイド2005が発売されたらしい。実は「column@管理人室」も掲載されている、らしい。
それは8月初旬のことだ。ココログ事務局から1通のメールが届いた。内容は「9月にココログオフィシャルガイド2004を発売するので、ライターのblogとして掲載させてほしい」というもの。その時点では発売日は9月中旬予定、タイトルは2004。なのに、発売したのは10月下旬、タイトルは2005だ。出版業界ではよくあることとはいえ、発売日がひと月も延びたことは「さぞ、大変だっただろうなぁ」とねぎらいたい気分。お疲れさん。
まだ、自分では見ていないが、その掲載っぷりは気になって仕方がない。なぜなら、依頼メールには「掲載内容は貴ココログ名、URL、作者様のお名前(ハンドル名)、トップ画面のキャプチャ画像、ご紹介文(200字程度) など」となっているからだ。
折しも8月はかの名作(!?)「正しいウンコの送り方」が誕生した月。これをキッカケにウンコネタ、下ネタが加速していったころである(くわしくはサイドバーの「ウンコネタ」カテゴリを参照)。いったい、いつの段階でトップ画像をキャプチャーしたのか。「ウンコの呪い」や「ウンコのおばさん」の日だったら困るだろうが。
ココログオフィシャルガイドのもくじにはこんなことが書かれていた。
■業界の裏側がわかるお仕事ココログ
(弁護士/編集者&ライター/小学校教師他)
ライターなのに、ウンコネタ。
激しくお詫びしたい気持ちである。
警察庁の思い出
おまわりさんで思い出したことがある。1996年、もう8年も前の話だ。女性月刊誌でレギュラーライターをしていた私は「ひとり暮らし女性の防犯対策」というテーマの取材で警察庁を訪れた。当時はオウム真理教がらみで警察すべてがピリピリしていた時代(1995年に地下鉄サリン事件が起き、1996年に麻原の初公判が行なわれた)。麻原奪還のため、信者が警察への攻撃を計画している、というウワサが流れていたころだ。
警察庁の玄関は厳重な警備体制が敷かれていた。物々しい雰囲気が漂う、警察組織のトップ・警察庁。(ちなみに警視庁は東京都の機関で○○県警と同列。警察庁はそれらをまとめ、指揮する国の機関)そんな場所にジップアップのTシャツと短パンで訪れた私はあきらかに不審者。
「あ〜、どちらへ?」
玄関を守る警察官の口調は、明らかに「アンタ、あやしいよ」というニュアンスが含まれていた。それにしても、警察官はナゼ「あ〜」というのだろうか。「あ〜、キミキミ」「あ〜、そこ止まりなさ〜い」とか。この「あ〜」だけで威圧感たっぷりなんである。
シドロモドロになりながら「あ、あの、生活安全局、警部の、○○さんとの、お約束で、来ました」と答える。
「あぁ〜!? ○○さん?」
もうダメだ。逮捕される。……と思ったら、すぐさま電話で確認を取ってくれた。
(そうだ、そうだよ。アポあるから大丈夫だもんね)
やや強気を取り戻した私であったが、次の瞬間、想像だにしなかった局面が待ち受けていた。
「あ〜、バッグの中、見せて」
所持品検査だ。激しく動揺する私。別にクスリや拳銃を忍ばせていたわけじゃない。実はカバンの中にミネラルウォーターが入っていたのだ。無色透明の液体。それはサリンを思わせる液体……。
「あわわわ。あの、これ、あの、これ、別に変なものじゃなくて、み、水です〜!」
警察庁の玄関口で叫びながら、まじめに生きようと誓ったのであった。
(つづく)
娘に伝える警察のオキテ
10月17日に行なわれた調布飛行場まつりでのヒトコマ。OL時代には酔っ払っておまわりさんに絡んだり、職務質問された過去を持つ私としては、笑顔でパトカーに乗る娘を見て感慨もひとしおだ。
日頃からおまわりさんを見かけるたびに「悪い子はおまわりさんのお家に連れていかれちゃうよ」と脅していた私。そのせいか、パトカー体験搭乗目前にして、娘がビビりはじめた。
「ねえ。ママ。やっぱり帰りたい」
「何いってんの! ずっと並んで待っていたのに」
「でも、おまわりさん怖いもん(半泣き)」
「いい子だったら、優しいから大丈夫だよ」
恐怖を取りのぞくのには、いい方法がある。敬礼だ。私はよく酔っ払っては交番に行き、敬礼をしていた。いぶかし気に出てきたおまわりさんに「勤務、ゴクローさまです」と再び敬礼。もう、あやしいったらありゃしねえ。
半泣きの娘に「おまわりさんの秘密を教えてあげる。これをやれば、おまわりさんの仲間になれるよ」と仕込んでみた。列に並びながら敬礼を練習する親子。バカまるだしである。しかし、娘には効果テキメン。泣き顔が見る見るうちに「ヤル気満々」の顔になる。
順番が来て、パトカーに乗り込む直前。ドアの前に立って直立敬礼する娘。吹き出すおまわりさん。ああ、今日もいいことをした……、と秋空を見上げる私であった。
飲み過ぎ、のワケ
また、やってしまった。飲み過ぎ。できることなら触れたくないが、そうもいかない。だって、飲み会のメンバーにここの愛読者がいるから。顔を合わす機会がほとんどないので、ここで謝っておこうと思う。
飲み過ぎました。ごめんなさい。
いやぁ、楽しかった。楽しすぎた。飲み過ぎてしまったワケとして、ひさびさの飲酒で自らの限界を計り間違えたこともあるが、根本的な原因は他にある。間もなく降りかかる災難を忘れたいがための痛飲だったように思う。やや怪しい自己分析だが。
その災難とは市役所がらみの仕事だ。何度も書いているが、私は小金井市の子育て支援計画をチェック&見直しを行なう委員をしている。委員は国立大の教授や保育園園長、小学校校長など「肩書き満載」のメンバー。そんな、人生もキャリアも大先輩、という人たちのなかで、「子育て経験たったの4年、ロクな肩書きなし、態度だけはイッパシ」の私は浮いた存在。そんな私が、なにを間違えたのか委員会の会長になってしまった。
これって「アイツさー、エラソーだから学級委員にさせちゃおうぜ」みたいな感じか。私の知らない間に進んでいた話である。飲み会の3日後にはシャンシャン総会ならぬ、シャンシャン会議が行なわれる。次第書(会議のシナリオ)もすでに作られていた。
「どなたかご推薦はありませんでしょうか」
「○○さんとの声あり」
「○○委員を推薦との声がありましたが、いかがでしょうか」
「異議なし!」
「ご異議なしと認めます」
会長選任までのカウントダウン。断わりたいのに断れず、飲みに走ってしまった私。13階段をのぼっているような気分。飲んだ翌日、娘は私にこういった。
「ママ。昨日、オットットしてたね」
娘よ。大人になると、オットットしたくなる日もあるのさ。
運動会に生きざまを見る
先週末、娘の保育園の運動会があった。公園の原っぱで踊ったり歌ったり走りまわったりすっ転んだり。おじいちゃんおばあちゃんお父さんお母さんは目を細めたり、笑ったりして見ていた。もしかしたら木の陰から愛人とか産みの親とか精子バンクの提供者とかがこっそり見ていたかもしれない。いないか。
しっぽ取り競争というのがある。ズボンの尻部分に紙テープをはさみ、それを取り合う競技だ。子どもたちがキャーキャーいいながら追いかけたり逃げまわるのを見て、なんだかフリーランス業界の縮図を見たような気分になる。尻のしっぽは不景気で減った数少ない仕事。同業者との熾烈な競争に勝たねば生きていけない。仕事を奪うつもりが、背後から忍び寄られ、横取りされる。嗚呼、無情。
走りまわった挙げ句、1本の尻尾も取れずに転び、泣き叫ぶ子どもたち。まるで自分の生きざまを見ているようで、ちょっと涙目になった秋の1日。
ミックスサンド考察
所用があって駅前のファミレスに入った。メニューを見ると、いつも頼んでいた「サンドイッチ」がなくなっている。フワフワの白いパンに、卵とハムと野菜をたっぷりとはさみ、コンパクトな三角形に切っていたサンドイッチだ。おいしいうえに食べやすので、よく頼んでいた。
よくよく見ると「サンドイッチ」のかわりに「ミックスサンド」が新登場している。ネーミングだけを見ると明らかに「バージョンアップ」の予感。しかし、実際は「バージョンダウン」であった。
白くてフワフワだったパンは、ボソボソのイギリスパンになっていた。もはや、サンドイッチ用12枚切りではない。耳つきにしてボリュームだけはアップ。具は卵がなくなってハムと野菜のみ。こっそりと卵をはずしやがって。気づかれていないとでも思っているのだろうか。
そして、横長3等分の切り口。
しかも、この高さ。この崩れっぷり。
食いづらいったらありゃしない。手のひらでソッと押しつぶしてみるも、耳にはばかられ、一向に低くならない「ミックスサンド」。しかも、かじるとキュウリだけが出てくる。どんなに注意深くかじったところで、べローン。口からキュウリのスライスを垂らし、なすすべもない私。
なにが「ミックスサンド」だ。
陰毛の白髪
陰毛に白髪があった。正しくは「陰毛の白髪に気づいた」である。トイレに入ったついでに、何気にのぞきこんだところ、キラリと光るものが目に入った。
こんなところにお宝か!?
いや、奥地に存在するお宝ではない。
もっと手前の密林に輝くお宝だ。
密林をかき分け、妖しく光る物体を探す。1本……、また1本……。いつの間にこんなものが。
アタマの毛は少々の白髪があるが、美容師にしか見つけられない程度の本数だ。なのに、たまにしかのぞかない場所をのぞいてしまったがために、陰毛の白髪を見つけてしまった私。ショックである。枯れ枯れの夫婦生活を考えると夫は気づいていないはずだ。今ならまだ間に合う。染めるしかないのか。
ショックのあまりに「陰毛+白髪」で検索をかける。エロライター・下関マグロ氏の記事がひっかかり、思わず読みふける。マグロ氏は風俗嬢による陰毛のカットと、ギャッツビーのピンクシルバーでチン毛ブリーチという荒技を体験している。
やっぱり染めるしかないのか。ギャッツビーのピンクシルバーは悩みどころだが。
ナカグロ女への復讐
岩手へ行くのに、お土産を買っていこうと思っていたら「買ってきてくれるなら、長者原SAの喜久福にして」とおばからのリクエスト。小金井のお菓子じゃダメかよ、と思いつつも、いわれるままに長者原で購入する。
おばの家で食べたところ、想像以上にうまかった。お茶屋さんが作った大福で、皮は薄め。なかには「ずんだ餡&生クリーム」「こし餡&抹茶クリーム」が入っている。ずんだとは枝豆のアンコのことで、この大福で使っているのは山形県鶴岡産のだだちゃ豆である。ずんだ好きなら見逃せないはずだ。
仙台以外では岩手と青森に店舗があるだけ。東京に帰るときのお土産にしようと思い、長者原SAで再び、立ち寄るもなぜか見当たらない。髪を茶髪にし、いかにも「元ヤンだけどぉ、いまは真面目に働いているのぉ」とでもいい出しそうなレジ嬢がいたので聞いてみる。するとレジ嬢は「うちには、あ・り・ま・せん!」とピシャリ。わざわざ「ナカグロ」を入れての強調ぶり。どうやら下りのSAにはあるが、上りのSAにはないらしい。聞かれることが多いのだろうが、カリカリすんな。お前んとこも入れろって。
レジ嬢の鼻の穴をふくらませた「いいぐさ」に腹が立ったので、帰宅後すぐにネット検索。オンラインショップを探し出して、15箱も注文した。本日、届いた段ボール箱を見下ろし、あのむかつくナカグロ女に勝った気がした。ささやかな復讐である。
わしづかみ
日々、熾烈な競争が繰り広げられている人気blogランキングでおろちょんのお笑いマンガ道場というblogを見つけた。読み始めたときに「コレはイケる」と直感し、密かにウォッチしていたのだが、ほどなく「更新一時休止のおしらせ」がエントリーされ、ここ数日は悶々とした日々を過ごしていた。
私が初めて読んだ記事は9/27の“「神谷バー」で人情を知れ”だった。ライターとして自信喪失されられるほどの筆力。アンタ、何者? というのが、正直な感想。まさにやられた感あり。
ようやく旅行から帰ってきた「おろちょん様」は、さっそく旅レポートをアップ。むさぼるように読む私。もはや、ストーカーの気分である。クスクスと笑いながら、目を充血させてモニタにへばりつく姿は、鬼気迫るものがあったに違いない。
完全にノックアウトだ。心臓がドキドキしている。人様の文章を読んでドキドキしたのは、痴漢を捕まえて事情聴取されたときの調書を読んで以来である。
私は今この瞬間、恋をしたのだと思う。
むがす、あったずもな
岩手県遠野市に住むおばは、老舗・割烹料理店の女将だ。店の建物には観光客が訪れる食事処のほかに個室、大広間がある。大広間は広さが100畳で、引き幕付きの舞台や照明、音響も備えられていて宴会や結婚式に使われている。
今回、娘と夫を遠野に連れていったとき、まっ先にこの大広間に連れていった。薄暗くて寒くて長い廊下を歩き、大広間に入る。4歳の娘は入口に突っ立ったまま、部屋の広さをマジマジと観察した。そして、すぐさま行動開始。それは私が子どものときにしたのと、まったく同じだった。
まずは走る。
大広間の端から端まで走りまくる。
次にでんぐりがえし。
それから、大の字になって寝る。
次は舞台に上がって踊ってみる。
それが飽きたらかくれんぼ。
最後は障子を開けて庭園を見る。
もう、まるっきり同じ。はしゃぐ姿はまさに4歳の私だ。子どものころの自分に出会ったような感覚。遠野は座敷童子(ざしきわらし)や河童がいるという民話のふるさとだ。
むがぁ〜す、むがす、あったずもな。(昔、昔、あったとさ)
こんな不思議な気分になるのも、あり得る土地柄なのである。
結婚って、どうよ?
ぷれこさんのblogで結婚って、どうよ?というネタ出しをしているので参加TB。
私はいままでの人生で結婚を考えたことが4度ある。1度目はOLになってすぐに付き合い出した同期のオトコ。細身で長身で私好み。気の優しい設計士だ。あとは彼の実家へあいさつに行くだけ、という状態だったが、まだハタチの私は「もう少し、バブル真っただ中のOL生活を楽しみたい」と腰がひけていた。そのうち、好きなオトコが出来て別れたが、彼は「待っているよ」とつぶやいた。なのに、10年後には結婚したよ。私よりも早く。待っているんじゃなかったっけ。
2度目に結婚を考えたのは、上記の彼と二股で付き合い始めた年下のオトコ。私24歳、彼19歳。前の彼と同じく、細身で長身、とにかく優しいオトコだった。年上女との交際に夢中になった彼は「結婚して、北海道の実家で一緒に暮らそう」といったが「私って、ネオンがないとダメな女なの」と断わった。
3度目に結婚を考えたのは不倫をしていたとき。細身でも長身でもないが、しょっちゅう花や酒をプレゼントしてくれるマメなオトコだった。「女房とは別れるから」といわれ、半分その気になったものの、奥さんが「ふたりの子どもも一緒にどうぞ」といいだしたので、あきらめた。本妻は肝が座っている、と勉強になった。
4度目は今の夫。やっぱり細身でも長身でもない。ボクトツで優しいだけが取り柄のオトコだ。結婚する気はさらさらなかったが、親に「金を節約するため、同棲する」といったところ「いい歳をして。けじめをつけろ」と叱られた。33歳の春だということに気づいたのである。
いろいろなオトコからのプロポーズを受けながら、なぜ夫だったのか。結婚式がわりに行なった披露パーティの場で、長年私のオトコたちを見てきた先輩がこういった。
「アンタ、何があったの?」
いや、私にもよくわからないんですけど。結婚なんて、そんなものである。
助けてくださ〜〜い!
岩手旅行から帰って以来、忙しくて死にそうだ。もう、blogの更新どころじゃねえよ、って感じなんである。なぜなら、大量の栗をむいているから。毎日毎日ヒマさえあれば栗むき。朝、起きたら栗むき、昼ごはんを食べたら栗むき、夕飯が済んだら栗むき、深夜も栗むき。むいてもむいても終わらない、栗の無間地獄。
私たちが泊まった岩手のおばの家は2年前に建てたばかり。なんと90坪もの豪邸だ。おかげで何度も家の中で迷子になった。家は山の中腹にあり、まわりは栗とクヌギの森。朝になるとジャージと長靴を借りて栗拾いをさせられる。決して栗拾いを楽しむのではない。拾わされるのだ。
栗林の近くに住む者にとっては、栗拾いもイガの掃除も面倒なだけである。拾わなければ虫に食われて腐るだけなので、もったいない。だけど、面倒くさい。そんな毎日だから、東京からやってきた姪やその娘は格好の「労働力」。
最初は楽しかった。だって、栗林にばらまいた栗を、わざわざ入場料を払って拾った経験しかないのだから。しかし、2日目あたりから「楽しさ」は「辛さ」へと変化する。毎日ボトボトと落ちてくる栗を拾っていると「もう、いい。もう、いいよ。頼むから落ちてこないでくれ」と叫びたくなる。もはや、セカチューの気分。
助けてくださ〜〜〜いっ!
もう、拾えませ〜〜ん!
10キロはあろうかと思われるほどの栗をおみやげにもらい、帰ってきたものの、栗むきに苦労する毎日。ウニウニと虫も出てきて、泣きたくなってくるし。だれか〜、だれか助けてくださ〜〜〜い!
ナゼになまる
昨夜、4泊5日の東北旅行から戻ってきた。出発日も雨、滞在中も雨、帰る日になってようやく秋空を見ることができた。日頃の行いの悪さをうらめしく思う。行きと帰りに仙台近くのキャンプ場で宿泊。大浴場で宮城県人に「ドゴからですか?」と話しかけられたのをキッカケに、なまりが出始める。
私自身は吉祥寺生まれの福生育ち、途中から武蔵境……と、根っからの多摩っ子だが、弟のお産で里帰りをしていた母にくっついて3歳のときに半年間、岩手暮らしをしたことがある。そのため、東北なまりを聞くと、ついつい「んだっけ」(そうだね)と答えてしまうのだ。
岩手に入ると、ますますなまりはひどくなり、車中で「あんや、なんぼしたって外が真っ暗すぎて、おっかねごと」(あれまあ、いくらなんでも外が真っ暗すぎて怖いわ)と、つぶやいているからおそろしい。どこの人だよ、アタシ。
東京に戻ったとたん、なまりが治るかと思いきや、そうもいかないらしく、いまだに「あんや、まんずよく降る雨だごと」(あれまあ、よく降る雨だよ)などといい出すから、娘はポカーン。いつになったら治るのだろうか。
クローバーの花
さっき突然、思い出したことがある。私は幼いころ、鼻の穴にクローバーの花を詰め込んだことがあった。なぜ、クローバーなのか。なぜ、鼻の穴なのか。自分でもよくわからない。
指でほじり出そうとしても、奥へ奥へと潜るクローバー。親に相談することもできず、綿棒をそっと入れてみたり、片方の穴を指で押さえて「フンッ」とやってみたり。
万策つきた、そのとき。鼻の奥地で「異物感」をかもし出していたはずのクローバーが、どこかにいってしまった。小鼻を指でグリグリしてみるも、そこには小鼻があるだけ。何が起きたのかよくわからないまま「ま、いいか」と自己完結。そして現在に至る。
母さん、アタシの鼻に詰まったクローバーの花は、どこに行ったんでしょうか。
水商売の思ひ出
まだ、ライターとして駆け出しのころ、水商売をしていたことがある。どうにも食えない私を見かねて、男友だちが行きつけの店を紹介してくれたのだ。内装はしゃれたショットバーなのに、カウンターにいるのはママと女の子という、風変わりな店だった。もちろん、カクテルを頼む客などおらず、みんなJINROかウイスキーのボトルを飲む。
スピリタスをたしなむ私にとってJINROは、もはや水。客が「poronちゃんも飲みなよ」などと、うっかり口を滑らそうものなら、店は祭り一色になる。
客が水割りやウーロン割りにしていても、私はロック。飲み始めたら、客の飲酒ペースなどおかまいなしだ。あまりにも早くグラスが空になるので、客は「お代わりしなよ」といわざるを得ない。こうして、ボトルの中身は減っていく……。
入店1カ月後の私は、客からこう呼ばれるようになっていた。それは……。
ボトルキラー。
スピリタスな夜
吉祥寺のバーで飲んでいたときのこと。その日、私は男友だちとふたり、カウンターで静かに飲んでいた。薄暗い店内に流れるジャズの音色。コンクリートとスチールを使ったシックなインテリア。初老のバーテンダーの控えめな接客は、ゆったりとした時間を過ごしたい自分にはなによりだ。
10時を過ぎたころ、女性がひとりで店に入り、私の隣に座った。歳は25〜26か。スレンダーな美人だ。
「えっと……。スピリタスをください」
メニューを見ながらつぶやいたことばに、バーテンダーだけでなく、カウンターに座っていた客全員が息を飲んだ。スピリタスはアルコール度数96度を誇るポーランドのウォッカだ。口元に近付けただけで、くちびるが乾くほどの強い酒である。だれもがこの先の展開を知りたがるように、ジッと耳をそばだてていた。初老のバーテンダーはゆっくりと女のほうを向き、諭すようにこういった。
「お客さま。スピリタスはアルコール度数が96度もある強いウォッカですが……」
そのことばを聞き、女は一瞬とまどいを見せた。が、すぐに「だったら、ソーダで割ってください」と頼んだ。
バーテンダーは先ほどよりも、少し強い口調でこういった。
「ソーダで割っても、普通のカクテルよりもかなり強くなります。女性がお飲みになるのはおすすめできません」
もはや「スピリタスはお出しできません」といっているも同然だ。彼は彼女のことを案じ、あえて断わったのだ。バーテンダーとしてのプライドと優しさ。私はそんな「プロ」の仕事ぶりに感心しつつ、グラスを傾けた。
そのとき……。私は気づいた。いま、私が手にしているのがスピリタスだということを。それも、ソーダ割りじゃなく、ショットである。初老のバーテンダーはスピリタスのオーダーを咎めることなく、サッサとグラスに注いでいた。なぜだ……。そう、考えていたのを見透かしたように男友だちはつぶやいた。
「バーテンダーも人を見るのさ」
締まって浮いて
オンナは出産を機に「はじらい」を捨てる。世のオヤジどもが「うちのは色気も素っ気もなくて……」とボヤいているが、仕方のないことなのだ。どんなにウブだったオンナも、妊娠〜出産というプロセスを踏んでいくうちに悟りを開く。そのプロローグは初めて足を踏み入れた産婦人科で始まる。
「○○さ〜ん、下を脱いでくださ〜い」
ただでさえ、慣れない産婦人科の雰囲気にドキドキしているというのに、いきなり「脱いでくださ〜い」と明るくいわれても……。初めて触診を受けるワタシは「下を脱いで」といわれ、靴下まで脱いだ。何度か触診を受けるうち、靴下を履いたままでいいことに気づいたが、下半身スッポンポンで靴下だけを履く……という状況は後にも先にもない。
触診は腹の部分にカーテンが引かれていて、向こう側は何も見えない。そんな状態で、指を突っ込まれるのは本当に恐ろしい。「チカラ、抜いてくださいね〜」といわれたところで、尻の穴がキュッと締まってしまうのだ。
触診が終わると看護婦さんがアソコを洗う。「洗いますよぉ〜」と予告してくれるが、水がシャーッとかかった瞬間、びっくりして尻が5センチほど浮く。何度やっても浮いてしまう。
身がひきしまるとは、このことか。
出産までの間にそんなことを何回も経験するうち、少しずつ「はじらい」は薄れていく。妊娠10カ月にもなると、さっさとパンツをおろして診察台に上がるようになる。こうして、乙女のはじらいはオバサンの図太さに変わっていくのだ。もう、こうなったらコワイものはない。
留守にします
これから、ちょっとばかり留守にします。が、コラムは公開予約で毎日エントリーしてあるのでご心配なく。なんだか、締切りの気分だったよ。わはは。しばらくはコメント返しできませんが、よろしく。では、いってきます。
穴はふさいでいません
我が家は狭い。なので、できるだけ片付けるように心がけている。しかし、時としてどうにもならないことがある。
旅行へ行くので、夫は玄関で靴の準備をしていた。娘は玄関横のトイレに入っている。ジャーーーッ。トイレを流し、ドアを開ける娘。しかし、外開きのドアは玄関に座り込んでいる夫の身体に邪魔されて、ほんの少ししか開かない。
「ちょっと! 出られないじゃない!」
娘はプンプン怒りながら、わずかなドアのすき間に身体をねじ込み、トイレから出ようとした。……と、そのとき。「ギャ〜〜〜ッ」と泣叫ぶ声。あわてて駆け付けると、娘は尻を出したままドアの前で泣いていた。
4歳の娘は、トイレを済ますとパンツを上げずにトイレから出てくる。まだ、パンツを履くのもギコチないお年頃。ほんの少しでも広い廊下やリビングで、ゆっくりとパンツを上げたいのである。
どうやら、ドアの角でぶつけたらしい。ぷるんとした尻は、割れ目から血がにじんでいた。ちょうど、尻の穴の真上あたりだ。薬をぬり、大きなバンソウコウをはった。娘は悲し気な顔をして、私にこう、つぶやいた。
「もう、ウンチ、できなくなっちゃった……」
安心しろ。穴はふさいでいないよ。
新宿はコワイ
それはOL時代のこと。いつものようにアフター5の酒を楽しむため、NSビルから歌舞伎町へ向かっていた。そのころはまだ、南口から東口へ抜ける階段は今のようにキレイなものではなく、錆び付いた階段があっただけ。薄暗くて、シケっぽくてデンジャラスな雰囲気だ。
階段はいわゆる「折り返し階段」で、踊り場に立たないと、その先が見えない。私は足を踏み外さないように、パンプスを気にしながら階段を降りていた。
……と、そのとき。暗い階段から私の前に誰かが飛び出してきた。相手の顔は見えないが、男であることはわかる。驚いて足を止めた私は、男が手にしているものに気づいた。
拳銃。
すぐそばのパチンコ屋のネオンに照らされ、あやしく光る拳銃。銃口はまっすぐ私を見つめている。男は暗闇で拳銃を向けたまま、息づかいだけがかすかに聞こえてくる。
(ああ、どうしよう。金なら少しあるので渡せばいい。身体目当てだったら……。前だけなら我慢するけれど、後ろまで犯されたら泣くに泣けない。あ、でも殺されちゃうかな。やられた挙げ句に金も取られてバキューンかよ。勘弁してくれよ。バーで待っている友だちは私が死んだことにいつ気づくのだろうか。1杯だけでも飲んでから死にたかったな)
人間、本当に恐怖を感じているときというのは、声が出ないものだ。息を殺して立ちつくすだけ。しかも、たった5秒ぐらいの間にあれもこれもと考えている。
カァァァァットォォォォ〜!
映画の撮影だった。新宿はコワイ。
ウンコじゃなくてよかったよ
朝からさわやかな快晴。日頃の寝不足がたたり、昨夜は10時にダウンした私もさわやかだ。こんな日は布団干しと洗濯に限る。我が家のベランダもすでに布団と洗濯ものでいっぱいだ。
昨日、夫が保育園に迎えに行ったら、娘の布団カバーとタオルケットが干してあったそうだ。娘に聞いたところ「あのね、あのね。おふとん、びちょびちょなの」という。ははーん、おねしょでもしたか、とつぶやく夫。娘はそのことばを聞き逃さなかった。
「ちがう、ちがうよ! おしっこしたのは、○○ちゃんだよ!」
必死に「自分はやっていない」ことを訴える娘。さながら、刑事ドラマのワンシーンのようだ。ここで「早く吐いてラクになっちまえ」と夫がいったかどうかは定かではないが、事情聴取は続く。
保育園では布団をずらーっと並べて昼寝をする。4歳の子どもたちだ。寝相は悪い。事情聴取の結果、隣に寝ていた女の子が、娘のふとんへ進出した挙げ句、おねしょをしたらしいことがわかった。気づいた先生が保育園で洗濯をしてくれていたのだ。
娘よ。災難だったな。心の中でそう、つぶやきながら、
「ウンコじゃなくてよかったよ……」
と胸をなで下ろす母であった。
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