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2005年1月の記事

さ、さぶっ!

DSCN2885 うう、さぶっ! スッポンポンで座っているのもラクじゃないわね。いちおう、私には「想い」なんていうタイトルがついているんだけど、これじゃ、想いじゃなくって「寒い」だわよ。

 あ、ちょっとちょっと。アンタさ、写真なんかとってないで、毛布とかないの? 寒いったらありゃしない。パンツぐらい履かせてほしいわ。ていうか、なんで「想い」ってタイトルでこのポーズなわけ? どう見ても「貧血ですか?」って感じじゃないの! やってられないわ、まったく。ああ、さぶっ!

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陰毛よ、私はいいたい。

 義母が風邪でダウンした。そのため急きょ、義父だけの上京となった。せっかく、姑チェックを意識して掃除したというのに……。

 それにしても、なぜこんなに「毛」が落ちているのだろうか。念入りに掃除機をかけて、ひと息ついた瞬間、カーペットや床に落ちた「毛」に気づく。チン毛かマン毛かケツ毛かヘソ毛は定かではないが、確実に陰毛。もういいかげん、新陳代謝が衰えているであろう年齢なのに、陰毛の落ち具合は若いころのそれと変わりないように感じる。

 そんなに生えかわってどうする。
 そんなに鮮度抜群になってどうする。
 ……いや、もしかしてハゲてきたのか?

 陰毛よ、私はいいたい。知らず知らずに抜け落ち、部屋のあちこちに身をひそめたいのなら仕方がない。せめてカメレオンのように擬態して「見つかりにくく」するか、逆に「抜け落ちたとたん、ショッキングピンクに変化」して、掃除をしやすくしろ。中途半端な黒(白もたまにあるが)だから困るのだ。

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赤い色の憎いやつ

DSCN2876 26日に到着した実用書の再校正がまだ終わらない。5回も見直しをして、いよいよ編集部に戻すぞと意気込んだそのとき!

 ピンポーン! ペリカン便でえす!

 出版社からの「再校ゲラ」が届いたのである。今回の実用書は監修者の先生、原稿担当の私、編集プロダクション、そして出版社の担当編集者の4人体制で校正をしている。監修者と自分の直しをまとめて、編集プロダクションに送れば終わるはずだったのに、出版社から赤字たんまりのゲラが届くなんて……。しかも、再校段階で。

 どんどん真っ赤に染まっていく私の再校紙……。いつになったら責了(もう直しませんよ、印刷オッケーの意味)できるんだろうか。今日はこれから夫の両親が上京する。立派な嫁のふりをして、もてなしたいところではあるが、滞在中はずっと徹夜になりそうだ。赤が憎い。赤字が憎い。

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アップルちゃん

DSCN0001 広島から夫の両親が泊まりに来るというので、部屋中をひっかきまわしていたら、OL時代の写真が続々と出てきた。夫がそれに気づき、ジーッと見てひとこと。

「肌がぴちぴちぷるぷるだ……」

 余計なお世話、である。それにしても、どの写真を見ても「水商売」にしか見えない。当時は確かに間違えられることが多かった。

 上司とふたりでクラブへ行き、いい気分で飲んでいると隣から「オネエサン、水割り頼める?」と酔っぱらいオヤジ。「指名料がかかります」と切り返す私を見て「ねえ、夕方6時からこの子を預からせてくれないかしら?」と、上司にお願いするママ。そんなことがしょっちゅうだった。

 ある日のこと。女の先輩たちともんじゃ焼きを食べに行く約束をした。電話当番で会社を出るのが遅れた私は、ひとり歌舞伎町の店へ向かう。雑居ビルに到着し、エレベーターを待っていると、降りてきたエレベーターから白衣を着たおじさんが出てきた。手には満杯になったゴミ袋を下げている。このビルのどこかにある飲食店のスタッフだろう。

「あれ、アップルちゃん!」

 私の顔を見て、話しかけてくる白衣のおじさん。アップルちゃんってなんだよ。

「は?」
「アップルちゃん! アップルちゃんでしょう?」
「え? いえ、あの」
「アップルちゃんだよね」

 戸惑う私をよそに、おじさんは「アップルちゃん」を連呼する。

「あのさぁ、ゴミ出しをちゃんとしてよ」
「は?」
「ゴミだよ、ゴミ。ママにいっといて」
「あの……」
「アップルちゃん、頼むよ!」

 おじさんはそれだけを言うと、さっさとビルの外へ出ていってしまった。もはや、誤解を解くすべはない。アップルちゃん確定。どうにも納得できず、もんもんとしながらエレベーターに乗る。

「あ……」

 私は気づいた。雑居ビルのなかに「スナック アップル」があることを。そして、私はそこの女の子だと間違えられたことを。すでにもんじゃ焼き屋に集まっていた先輩たちは、この話を大笑いして聞いた。翌日から私は会社で「アップルちゃん」と呼ばれることになる。

「はい、営業本部の○○です」
「あ、○○室の○○ですが、アップルちゃんお願いしま〜す」

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私わたしワタシってね

 昨年10月から年をまたいで、いまだ整体本の仕事が続いている。同じことの繰り返し、わかりづらい例え話、ダラダラと続く文章、バラバラの表記満載の著者原稿を、ザックリバッサリと切って、いじくりまわして、なんとか読める原稿に仕立てあげたのが昨年暮れ。年が明けて届いた初校は私的には満足できるものだったが、先日届いた再校を見て泣けた。

 先生。原稿を差し換えないでくださいよ……。しかも、意味不明になってるし。

 今晩中に80ページ分の再校を見なくてはイケナイ。なのに、涙で霞んで原稿が見えやしねえ。

 タイアップ記事でもよくあることなのだが、ライターがいちばん泣けるのはシロウトの直しである。あれもこれもあっちもこっちも追加したくて、欲張って文章をふくらます。結果、何をアピールしたいのか、何をいいたいのかが伝わらない文章になる。1番、伝えたいことや大切なことを強調し、2番目に伝えたことはちょっとていねいに、3番目以降はサラリと書くか、バッサリと切ってしまうぐらいがちょうどいい。

 だいたい「聞いて聞いて。私、わたし、ワタシってね」と自己アピール度の強いオンナにロクなのはいない。文章もしかり。あれこれ伝えたいのはわかるが、欲張りすぎると「わかったわかった、もうわかった!」といわれてしまうのである。

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虐待

 虐待でまた子どもが死んだ。3歳の子が食事も与えられず、たったの6キロだったという。うちの娘は3歳児検診のとき14.6キロあった。半分以下じゃないか……。

 昨夜は市役所で会議があったので、この子の話を出した。先日、小平の児童相談所に話を聞きに行き、行政や地域がどんなことをやれるのかと考えていたばかりだったから、今回のニュースは特につらい。

 生まれたばかりの子どもは保健婦の訪問相談や、数カ月ごとの検診で成育のチェックができる。しかし、検診も1歳を過ぎると、1歳6カ月と3歳に行なわれるだけだ。今回、亡くなった子どもは3歳児検診には行っていなかったという。

 会議に同席していた子育て支援課に「小金井市では検診を受けなかった子どもを、何らかの形でチェックする体制はあるの?」と聞いてみた。すると「以前はなかったが、最近はかならず電話をかけたり、訪問しているようです」という。電話で虐待の実体がわかるはずもなく、思わず「訪問しないと意味がない。電話しました、で終わりなの?」と噛み付いてしまった。文句ばかりをいっても始まらないので「のびゆく子どもプラン(※)の改訂版では虐待防止項目を別立てする」と宣言してきた。

(※)のびゆく子どもプラン/小金井市が3年前に作った子どもに関する施策すべてのこと。10人で構成される委員会が施策作り、進捗状況のチェックをしていて私も委員をしている。

 子育て支援課のある人は「3歳から就学するまでの年齢がいちばん虐待に気づきにくい」といっていた。検診もなく、保育園や幼稚園に通わせず、自宅に閉じ込めていても気づかないからだ。小平児童相談所の所長は「ネグレクト(養育放棄)を受けている子どもほど、親をかばう傾向が強い」という。また「地域の大人すべてが子どもへ目を配り、孤立から虐待に走る親をフォローすれば虐待は減る」とも話していた。

 少子化や子育て支援についての議論や対策は必要だけれど「子育ち」の環境が保障されていることが前提。国は産めや増やせや、と騒ぐだけじゃなく、子どもが殺されたり、虐待されないようにしてほしい。まずは新幹線用の金と、議会で駆け引きするだけの知恵をまわしてくれ。

 追記/児童虐待防止法では、もともと「虐待を受けた児童」を発見した人に対しての通告義務が定められていたが、2004年10月施行の改正法では、この通告義務範囲を「虐待を受けたと思われる児童」まで拡大。通告は児童福祉法25条により、医師や教職員だけでなく、すべての人に対して義務づけられている。

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コワイよ! マリア様

DSCN2871 外出先から帰宅し、マンションの集合ポストを見ると何やらキラリと光る物体。よくよく見ると小さなペンダントヘッドだった。

 ペンダントヘッドは横が約1センチ、縦が約2センチの小さなものだ。銀色に光ってはいるが、ものすごく軽いのでアルミ製じゃないかと思う。表にマリア像とポーランド語、裏はMの字と十字架をモチーフにしたマークが描かれている。(写真をクリックすると拡大します)

 最初にこれを見つけたとき、実はパニックになった。だって、ポストのなかではなく、ポストの上にそっと置かれているんだもの。しかも、6戸分のポストがあるのに、なぜか我が家と2階の○○さん宅にだけ。チラシやパンフなど何もなく、おもむろに置かれているペンダントヘッド。何かのまじないか? 無信心者への戒めか? 単なる布教活動か? すごくコワイんだけど。

 このペンダントヘッドに覚えがある、このマークの意味を知っている人がいたら、ぜひ「ひとんちのポストの上にソッと置いていった理由」を教えてほしい。あ、マリア様に聞いてみてあげるね〜、とかも可。

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ケツまで韓流。

 朝、起きてすぐの娘が泣きそうな顔で訴えてきた。

「あのね、プッてしたら、おしりがビッてなっちゃった」

 は? プッとかビッとか、なんのことやら……。さっぱり意味がわからず、聞き直す。

 「あのね、だからプッてしたの」
 「プッ、ね?」
 「うん」
 「プッておならのこと?」
 「うん」

 この段階でようやく、プッがおならのことだと理解する。そうか、朝起きたてにしやがったんだな。で、ビッてのはなんなんだ?

 「プッてなったら、おしりがビッて……」
 「ビッって?」
 「うん」
 「まさか、破けた?」
 「違う」
 「うーん、わからない」

 娘はしばらくどう説明したらいいのかを考えて「だから。おしりがプッてなって、痛いの」といった。

 ケツがしみるほどの屁、とはいったい……。話せば話すほど理解不能になっていくので「おしりを見せてごらん」と娘にいう。……ああ、なるほど。肛門のすぐ横にプツリと小さなできものがある。これがちょっと痛かったらしい。別におならをしたからじゃないのに。少し赤くなっているのでかかりつけの皮膚科へ行くつもりだが、それにしても幼児語はわかりづらい。プッだの、ビッだの、まるで「ペ」じゃないか。ケツまで韓流。

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ココログブックスへの苦言

ココログブックスコンテストの大賞が決まったらしい。公募で集まった1081件のココログから、審査員が14作品をノミネートし、大賞を決めるというコンテストだ。大賞受賞作は書籍化ということもあって、スタート当初はなかなかの盛り上がりぶりを見せていた。実は私も運試しに応募していたものの、一次審査であっさりと落選している。

 ノミネート14作品はどれもナットクの出来である。ジャンルを特化したBlogだったり、写真やイラスト、手芸作品をテキストとうまく組み合わせていたり……。以来、ココログ初の書籍化ということで、大賞はだれが取るのかと気にはなっていた。しかし、発表までの間に「たぶん、フクダカヨ絵日記だろう」と思いはじめる。そして、昨日。大賞は予想通りの結果になった。

 「フクダカヨ絵日記」はイラストタッチがホノボノ、なおかつ育児の大変さやおもしろさが出ていて、固定ファンも多い。もともと、人気が高いBlogだったし、ここが手堅いかという意見も多かった。しかし、私が予想したのはそうした理由ではない。理由はこれだ。

 ココログブックスコンテストの応募は9月24日から11月7日。
 ノミネート作品が決まったのは12月13日。
 大賞の発表は1月22日。

 ココログブックスコンテストの締め切り間際の11月4日、ニフティはココログでのアフェリエイトサービスを開始している(参考記事・ITmediaニュースITmediaニュース:ココログがアフィリエイトを手軽に)。そのアフェリエイトの特集記事でイラストを担当したのがフクダカヨさんなのである。その後もココログの新しいテンプレートの特集でも、彼女がイラストを担当している。

 もしかして、コンテスト以前から仕事の取り引きがあったのかもしれない。しかし、コンテストに応募している最中にニフティが仕事を発注するのは、ちょっとマズくはないのか。ニフティご推薦がバレバレである。ギャラのやりとりがあった時点で「関係者と見られてしまう」とは考えなかったのだろうか。大賞が決まった時点で「ああ、やっぱりねえ」と思わせてしまうなんてつまらなすぎる。いいイラストを使いたい、いい人材を発掘したいのはわかるけれど、発表まで「使う」のは待ってほしかった、と思うのが正直な気持ちである。

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テレクラで見つけた就職先(終)

テレクラで見つけた就職先(1)(2)(3)(4)のつづき。

 出向を断って1カ月ほどしたころだろうか。突然、社長室に呼ばれて解雇をいい渡された。理由は「朝、直行で取引先に行ったから」という、くだらない理由。出向話がダメになって以来、タヌキおやじとは何となくシックリきていなかったので、解雇の理由が別にあることはわかっていた。

「そうですか。お世話になりました」

 日割りの給料をその場でもらい、社長室を出てすぐ荷物をまとめる。ワケがわからず、ポカンとしているシングルマザーの同僚に「辞めることになりました。お世話になりました。さようなら」といい、会社を後にした。ああ、またしばらくは職探しか、と思いつつも、裏でマチ金融をやっているような会社と縁が切れたことにホッとしている自分もいる。ただ、ひとつだけ気がかりなことがあった。それは知人A氏をこの会社がらみの仕事を受けていたからだ。

 出向を断った○○協同組合は、原宿と渋谷に鮮魚料理の店を経営する計画があった。内装や広告で出店に関わっていたタヌキおやじに「メニューや看板、チラシを作る会社を知らないか」と頼まれ、A氏を紹介。彼はタヌキおやじのコネで、協同組合からの仕事を引き受けていたのである。入社してすぐだったので、ヤミ金融だということにも気づいていないころ。自分の会社がうさん臭いところだと気づき、忠告したときにはすでにかなりの仕事を引き受けているような状態だった。会社を辞めてすぐ、私はA氏に電話をかけた。

「あの会社、辞めたよ。ほどほどに手を引いたほうがいいかも」
「わかった。気をつけるよ」

 タヌキおやじの会社を辞めて数カ月たったころ、A氏から電話がかかってきた。○○協同組合がある日、突然なくなってしまったのだという。組合の入っていたビルはもぬけの殻、あの専務も事務員もすべて連絡が取れなくなっていた。破産や引っ越しではない。夜逃げだ。売り掛けがすでに1,000万円を超えていた彼は、会社登記を調べ、警察へ出向いた。そして、驚愕の事実を知る。

 実はあの人相の悪い専務を含め、○○協同組合の役員は全国に名の知れた「取り込み詐欺のグループ」だった。休眠している会社や組合を買い取り、羽振りのよさをアピールする。最初のうちは金払いもいい。取引先が信用したところで、大量の商品を発注してドロン……。店をオープンしたばかりで、これから本格的な発注をするつもりだったらしいが、身元がバレそうになって逃亡したようだ、と警察は話していた。知人は詐欺を行なう前の「羽振りのよさをアピール」する段階で利用されていたのである。

 知人に申し訳ない気持ちと同時に、あのまま出向していたら……と身震いする私。タヌキおやじは「自分も被害者だ」と憤慨していたようだが、実はグルだったのではないかというのが、警察の推理。テレクラで見つけた就職先は、やっぱりロクなもんじゃなかった。

(終)

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そんなに見つめないで。

DSCN2854 とある市立保育園を見学してきた。友人と仕事に行く前に時間の空いた夫と3人で園を訪ね、園長にいろいろと話を聞く。ひと通りの見学と説明が済んだとき、園長はこういった。

「給食、用意していますから子どもたちと一緒に食べていってね」

 ええええ! 給食! 3クラスにひとりずつ放り込まれ(笑)、無事でいられるわけがない。なんとも刺激的なランチじゃないか。私が座ったテーブルには5歳、4歳、3歳の6人がいた。子どもたちにとっては「先生でも父母でもない怪しいオバサン」は、いささか場違いな感じだ。所在がないまま、でかいケツを子供用の椅子におろし、つくり笑いを浮かべるしかない私。

 ほとんどの子どもたちは私の存在を意識しながらも、何事もないようなふりをして給食を食べていた。かっこむように食べている茶わんの横からチラリと見ている。あああ、この距離感はなんだ。「一緒に食べさせてね。おいしそうだねえ」と話しかけるも、シーン……。ダメだ。完敗。

 一方、隣に座っていた3歳の男の子は「ガン見派」だった。ハシと茶わんを持ったまま、給食を食べずに私を凝視している。目が合う。作り笑いで返す。しかし、彼は笑わない。目をそらして給食を食べてみる。視線が痛い。顔を上げるとまだガン見。ここが酒場であったのならば「てめえ、何さっきからガン飛ばしてんだよ!」「いいたいことでもあんのか? ええ?」となるところなのだが、私は大人。そしてここは保育園。

「ビ……」

 ガン見の彼が何やらつぶやく。目は私をしっかりと見つめている。壊れたか? 「ビ」ってなんかの合図か?

「ビ……」
「ビ?」
「これ、エビだよ」
「あ、ああ。そうね、エビ」

エビの話がしたかったのかよ!

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パチモンストーカー(1)

 新宿でOLをしていたころは、夜な夜な西口や歌舞伎町で酒を飲んでいたものだ。あれだけ店がたくさん集まっている新宿とはいえ、毎晩「料理とお酒がおいしくて、値段はそこそこ」の店をハシゴしていると、次第に飽きも出てくる。その晩も、女友だちのミチコとふたり「どっかいい店ない?」と歩いていた。「そういえば、前に1度だけ行ってボトルを入れたお店があったじゃない。まだ残っているはずだから、行ってみない?」とミチコがいう。「ああ、そういえば行ったね。あまり気に入った店じゃなかったけれど、ボトルもったいないし、行こうか」と私。ふたりは雑居ビルの7階にあるその店へ向かった。

 あれ? 看板が違っている。内装はほとんど同じだったが、カラオケパブだったその店はなぜか「そっくりさんショー」を行なう店に変わっていた。どうやら、居抜きで店が変わったばかりらしい。さっさと帰ろうと思った瞬間、ボーイが飛び出してきて「どうぞどうぞ」と強引に案内を始めた。

「いや、私たち前の店だと思ってきたの。ボトル入っていたから」

 ボーイはすかさず「オープン記念ですから、ボトルをタダでお入れします。そっくりさんが接客しますよ」と誘う。ボトルタダでそっくりさんの接客! おもしろそうじゃない、というわけで私たちは入店した。まだ、早い時間だったせいなのか、オープンしたばかりなのか、店内の客は私たちだけ。必然的にそっくりさんが何人も私たちのテーブルにつくことになる。水割りを飲んでいる私の隣にいるのは長渕剛もどき。目の前には松田聖子もどき。石原裕次郎や松山千春、五木ひろし、デーモン小暮もどきまでやってきた。パチモン天国ばんざーい(笑)。

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パチモンストーカー(2)

 私たちはボトルもあることだし、と続けて数回、飲みに行った。2度目に店を訪れた数日後のことだ。私の部屋に無言電話がかかり始めた。最初はただのいたずらと思って無視していたが、あるとき相手が話しかけてきた。

「オレはアンタのことを知っている」
「最近、髪の毛を短く切っただろ」
「ベージュのスーツを着ていたね」
「今日はピンクのコートだった」

 電話をかけてくるたびに、内容がエスカレートしてくる。相手は私の家の住所も、勤務先まで知っているのだ。目に見えぬ相手に恐怖を感じた私だったが、いたずら電話の回数が増えるにしたがって、にわかプロファイリングを始めるようになった。

●相手は男、年齢は20代後半から30代そこそこ。
●無言電話がかかるのは夕方5時〜6時のみ。
●いつも公衆電話からかけてくる。
●深夜の電話は無言ではなく、話をしてくる。
●かならず後ろで何やら音楽が鳴っている。
●私の服装を知っている。
●髪を切ったばかりということも知っている。
●住所と電話番号、名前、会社名を知っている。

 最初に推理したときは、同じ会社の男だと思っていた。しかし、私はある日気づいたのだ。ボトルを入れるときに書かされた紙には住所や名前、電話番号、会社名を記入していたこと。髪を切ったことを店でミチコと話していたこと。そのときに接客していたのはひとりだけだった、ということ。そして、犯人が知っていた服装はあの店に行ったときのものだったことを。

 私はある日、電話の相手にこうカマをかけた。「ねえ、こうやってお客さんの家にいたずら電話をしていることを、店に知らせてもいいわけ?」

 黙り込む相手。やっぱりそうか。トドメだ。「あなた、デーモン小暮のそっくりさんでしょう!」

 その日以来、彼は2度と電話をかけてくることはなかった。さようなら、デーモン。

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いっぱしのクチ

 娘のお迎えに行く直前、隣町に住む母が訪ねてきたので「たまには一緒に行って、保育園を見学したら?」と誘ってみた。「そうねえ、近所だし」と母も乗り気。ふたりで保育園へ。クラスの部屋へ行き、娘の荷物をまとめる。同じクラスの女の子がひとり近づいてきて、私にこんなことを聞いてきた。

「ねえねえ、今日はMちゃん(娘)のパパは来ないの?」
「そうなの。パパは今日はお仕事でいないのよ」
「ふーん。何のお仕事をしているの?」
「カメラで写真を撮る仕事よ」
「ふーん。ママは何の仕事?」
「パソコンでね、お仕事するの」

「超キモーイ!」


 横では母が男の子につかまって何やら話し込んでいる。

「ねえねえ、誰のママ?」
「Mちゃん(娘)のおばあちゃんなの」
「ふーん。メガネかけているの?」
「そうよ。メガネがないと見えないの」
「ふーん」
「?」

「メガネ、いいねえ! かっこいいじゃん」

 (・∀・;)アヒャ。いまどきの4歳児って……。

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葬儀をマジメに考える

 親戚が亡くなり、この土日で通夜と告別式が行なわれた。母はいままで行なわれた親戚の葬儀同様、通夜から帰ってすぐに仕込みをし、朝早く起きて煮物や山菜おこわを作って告別式へ出かけていった。へたをすると朝から午後まで何も口にしていない遺族や親戚のため、火葬場の待ち合い室でつまめるように持っていくのだ。私自身も高校生のころから親戚の葬儀にはエプロンを持って出かけていくようになる。ときには、おにぎりや厚焼き卵を作ったり、通夜ぶるまいの席でお酒をついだりもしていた。

 今回も母は料理を持参し、お茶をふるまい、憔悴しきっている遺族の代わりにさまざまな手伝いをしていた。一方、まるでお客さまのように座ったままの親戚も多い。いい年をしたオバサンが、お茶ひとつ入れようとせずに行儀よく座っているさまを見ると、情けない気持ちになる。

 訃報を聞いてすぐ私の母は、親戚中に電話をかけて葬儀の日程を知らせた。しかし、幾人かの親戚は「出られるかどうか相談します」と答えたという。亡くなった人と確執があったとか、場所が遠すぎるという理由ではない。親戚同士の付き合いが少ないからだ。

「父の立場では甥の奥さんだけど、自分は会ったことないし」
「母から見れば、いとこの奥さんだけど、娘の私にとっては遠縁」

 そんな、付き合いの薄さがこういう返事になったのだろう。しかし、自分の親が年老いて参列できないのであれば、子どもが親の代わりに駆け付ける、葬儀ぐらいは義理でも出てほしいと思うのだ。自分とのつながりが薄くても「遺族の母と自分の母が仲良くしていた」「父の葬儀で世話になった」なんていうこともあるはず。結婚して自分の家庭を持ったとしても、それで終わりではなく、親が大切にしていたつながりは子どもが(たとえ少しでも)受け継ぐべき。そんなことを考える私は古くさい人間なのだろうか。

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しゃぶしゃぶと落合

 駅前でコップ酒を片手に何やら叫んでいる野球帽のオヤジがいた。段ボールを敷いて座り、真正面にいる誰かに叫んでいるのだが、相手はいない。オヤジの視線の先をたまたま通りかかってしまった人は、自分に話しかけられているのかと驚き、そしてあたりを見まわしている。私が傍観していた間だけでもOL風、大学生風、20代サラリーマンが怒鳴られて戸惑っていた。よくよく聞いてみると、オヤジは「落合選手が盗塁をした!」ことを伝えたかったらしい。寒い夜だ。ぜひ、アタマも冷やしてほしい。

 オヤジを見たのは、ひさしぶりに「しゃぶしゃぶ」を食べに行った夜だ。若いときはよく、飲食店取材に出かけた私だが、最近はすっかりごぶさたである。たまにはふだん行かない店にも行きたいよなぁ、というわけで2年ほど前から飲食店のモニター登録をしていて、今回はその対象店がしゃぶしゃぶ屋だったというワケだ。

 モニターは担当になった店に行き、オペレーションのチェックをする。チェック項目は電話対応から始まり、挨拶や巡回頻度、皿や調味料が揃っているか、トイレの清潔さ、名札の有無など約100項目。さんざん、覆面でのロケハン(取材をお願いすべき店かを事前にチェックしに行く)を経験してきた私は、こうしたチェック項目の多さもあまり問題にならないが、気楽に始めた人のなかには「チェック項目が多すぎて食事が楽しめない」などの苦労もあるらしい。

 さて今回、行ったしゃぶしゃぶ店はいわゆるチェーン店である。電話対応と入店接客はとても良かったものの、料理の提供が遅かったり、ちゅう房の入り口に汚れた食器や鍋が山積みになっていたりと、問題点も多かった。お腹いっぱいにしゃぶしゃぶを楽しみながらも、100項目のチェックをして店を出る。駅に戻ってきたとき、野球帽オヤジはまだ座っていて「落合! わかってんのかテメエ!」と叫んでいた。

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アッコちゃん

 私には「アッコ」という、いとこがいる。彼女は妊娠中毒症になった母から生まれ、出産時の酸素不足で知的障害者となった子だ。今年33歳でも知的行動はずっと5〜6歳児。私と5歳しか変わらないけれど、いまでは私の娘と気が合うような感じだ。アッコは首が座るのが遅かった。不思議に思った両親がアッコを医者に診せ、発育の状態が遅いと診断される。そのとたん、産みの母は「こんな怪物みたいに気持ち悪い子は私の子じゃない」と家を出て、2度と会うことはなかった。

 父親(私のおじ)はその後、アッコを抱えながら出来るさまざまな仕事をし、そのなかで知り合った女性と再婚した。義母となった「しょうこおばさん」はホステスだった。アッコのことを知っていて、なおかつ子どもを産んだ経験がないのに再婚した人だ。産みの親を知らないアッコにとっては、その人はまさに母親=ママ。彼女はいつもアッコにいい服を着せ、町に連れ出していた。「こういう子は身なりだけでもキチンとしていないと、だらしなく見られてしまう」「部屋にとじこもらせていても、成長しない」というのが口癖だった。

 そんな、しょうこおばさんは母子感染で肝炎をわずらっていた。肝炎が悪化し、病院のベッドで死のふちを漂っていたときでも、アッコのことを気にしていた。

「はっちゃん(poron)、アッコを頼むね」

 そういって、彼女は死んでいった。産みの母以上に、アッコの将来を心配し、後ろ髪を引かれる思いで死んでいったに違いない。

 時は過ぎ、私は子どもを持った。そして、子どもを持ったことをきっかけに、保育園とかかわり、小金井市の子どもに関する施策をチェックする委員にもなった。今日(というよりもすでに昨日だが)は午前中、障害児の保護者たちとの意見交換会をし、障害を理解されないゆえの不等な扱い、かゆいところへ手が届かない支援について話を聞いた。午後は、ひとり親家庭へのホームヘルプサービスを行なっている会社へのヒアリングをし、精神的に余裕のない親や、それにまつわる子どもたちへの虐待について話を聞いてきた。夜は市役所での会議で今日の報告とともに、子どもたちへ差し伸べる手、困難を抱える親たちへのケアをどうすべきかを話し合った。

 仕事柄、朝から何件もの取材は慣れている。でも今日は「アッコ」と同じように障害を抱える子どものこと、そして親が養育を放棄してしまった件など、非常に重たいテーマを話した1日であり、心身ともに疲れた。人の悩みを受け止めるには、ものすごいエネルギーがいる。たくさんの人の「ぜひ、聞いてほしい」という気力に負けてしまった感じだ。

 私にできることはなんだろうか、と思いつつ、会議の後、ヘトヘトになった気力をお酒でまぎらわせいてる自分がいる。私がアッコにしてやれなかったこと、これからアッコにしてあげられること、そしてさまざまな子どもたちにしてあげられることはなんだろうか……。そんなことを考えながら、今夜は眠ろうと思う。

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オカワリ アルヨ!

 みつまめさんのblog「つま先立ちの毎日」で皿に鎮座するロブスターを見て、思い出したことがある。それは、幼なじみと出かけたインドネシア旅行の記憶だ。旅行先は当時、JALが開発運営していたプロウスリブリゾート。ジャカルタから高速船で約1時間、ひとまわりするのに10分もかからないような小さな島だ。島へ行く前日、飛行機を降りた私たちはジャカルタを観光し、市内の高級ホテルに1泊した。翌朝はいよいよ島を目指す、いう晩のことだ。

 その日の夕食は「レストランでのシーフード」が予定されていた。私たちふたりはリゾートドレスを着て、レストランに向かう。

 シーフードって何だろう? ロブスターとか、地元のおいしい貝かしら?

 エレベーターに乗りながら、女ふたりは盛り上がる。レストランに到着し、席についたとき、私たちのテーブルについたインドネシアのウェイターは満面の笑顔でこういった。

「タダイマ、シーフードリョウリヲ モッテキマス」
「テーブルノ ソース イロイロ アリマス」

 テーブルにはひとりずつ、中華風ソースやソイソース、サンバル(インドネシアの唐辛子ソース)、ソルト(塩)などの小皿が並んでいる。好きなソースをつけながら食べるシーフードらしい。

「オマタセシマシタ!」

 元気いっぱいにウェーターが運んできたもの……。それは、ザルいっぱいのシーフードだった! ザル、といってもしゃれたものではなく、料理に使うステンレスザル。その色気もへったくれもないザルにゆでただけのエビ、アサリ、ムール貝がてんこ盛りになっていた。しかも、シーフードのひとつひとつはハナクソ並みに小さい。

 まぎれもなく「レストランでシーフード」だ。しかしながら「オマエ、ゆでた後、ザルごと持ってきただろう」って感じはいただけない。それでも私たちは食べた。ひとつひとつ殻をむいてソースにつける。小さなエビの殻をむき、ソースをつけてチュッと食う。小さな貝をフォークで差し、チュッと食う。その繰り返し。どんなにむいても、どんなに食べても腹はいっぱいにならない。うつむいたまま、無言でエビをむく女ふたり……。なんだか、内職しているみたい。

「オカワリ アルヨ!」

 いらねえ……。

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深いご事情

 我が家のブロードバンド回線はADSL12M。ネットを見たり、メールを送る程度であれば不自由はしないが、仕事で動画のコンテンツを見たり、データのやりとりをするときはいささか重くてイライラさせられる。そんなわけで昨年12月に光ファイバーに申し込みをした。工事を請け負っている会社から「マンションオーナーに許可を取るから、電話番号を教えてくれ」という連絡が来てから、1ヶ月近く経つ。いよいよ工事日が確定するころだ。オーナーの許可はちゃんと取れただろうか? そんなことを思っていた矢先、我が家のポストに1通の封書が届けられた。


○○様


お世話様です。○○○工業の○○(担当者名)でございます。○○(接続サービス名)をお申し込みいただいておりましたが、
深いご事情もおありな様で、オーナー承諾代行業務を請け負っております業務上、結論を出さなくてはならない納期もあり、弊社からのお電話もはばかられる状況でもございました。つきましては、大変お手数ですが同封の承諾書にオーナー様、お申し込み者様のご署名、ご捺印を頂き同封の封筒にてご返信頂ければ幸いです。ご不明な点がございましたらお問い合わせ下さいますようお願い致します。


( ゜Д゜)ポカーン 

 何度、読み返しても意味不明なので、あわてて○○工業へ電話してみる。担当者は外出中だったが、事情を聞いた女性社員が進捗状況のデータを調べてくれた。


「失礼ですが、奥様はご病気で入院をされていましたか?」

「は? 年末年始ともに元気いっぱいでしたが」

「12/22にお電話をしたところ、ご主人様が出て奥様の具合が悪いので折り返し電話しますとおっしゃられた、と記載されています」


 ……! 私は気づいた。その日は、オーナーの電話番号を聞きたいって電話してきた日だ。手が離せなくて折り返し電話をかけ、オーナーの電話番号を知らせている。単に「都合」が悪かっただけ……。「具合」じゃない。それがいつの間にかお電話もはばかられるような深いご事情になっているとは! 大丈夫だろうか、この担当者。いまから工事が心配である。

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想い出の店

DSCN2846 どうしてもコレが食べたくなって、約6年ぶりに吉祥寺の鳥良へ。いまではアチコチに出店している鳥良だが、私はほかの店には目もくれず、本店へ通っていた。カウンターで手羽先揚げと白レバーの刺身を食べながら、日本酒を飲む。混んでいて行列ができているときは、近くのいせや総本店 で時間をつぶしたっけ……。そんな思い出深い鳥良。心待ちにしていた手羽先揚げは、コショウが効いていてビールが進む。ああ、変わらない味だ。しかし、白レバーの刺身がメニューにない。やっぱり鳥インフルエンザの影響なのか。

「ねえ、白レバーの刺身、よく食べたよね。あれ、なくなっちゃったみたい」

「……。オレは結婚前に2回、連れてきてもらっただけ。白レバーは食ってない」

 うわあああああ! シマッタ! ここは前の彼氏とよく来ていた店だ。白レバーの刺身を一緒に食べていたのは夫じゃなかった! 思い出の店に夫を連れていくのは辞めよう、そう決意した夜。

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テレクラで見つけた就職先(4)

テレクラで見つけた就職先(1)(2)(3)のつづき。

「キミ、以前は建設会社で専務秘書をしていたんだって?」

 ○○協同組合の専務はそういいながら、にやけた顔を私に向けた。「専務秘書というか、本部で役員の秘書業務をしていただけですが」と答えると、専務とタヌキおやじは微妙な目配せをした。なんだか、イヤな感じ。それでも私は仕方なくソファで愛想笑いを続ける。「ワープロもできる?」「住んでいるのはどこ?」と、さんざん聞かれ、いささかウンザリしてきたころ、タヌキおやじが「じゃ、専務。お返事は追々……」と席を立った。ようやく帰れるのか……。

 組合のビルを出たとたん、タヌキおやじに「いったい、どういうお話なんですか?」と聞いた。すると彼はしぶしぶと「来週からあの組合に出向してくれ」といった。しかも、あの人相の悪い男の秘書になれ、というのである。冗談じゃない。本社でも子会社でもない、単なる取引先になぜ私が出向しなければならないのか。「どういう理由で出向になるのですか」と聞いても、タヌキおやじは「ちょうど先方が人を探していたんだよ」としかいわない。私を見込んでの出向なのか、単なるお払い箱か。それとも、私だけが知らない「何らかのやりとり」があったのか。テレクラで見つけた就職先なんて、こんなものか。そう思いながら、私はタヌキおやじにこう告げた。

「出向はお断りします。あなたの会社に雇われたのであって、取引先に雇われたのではありません。お断りすることが不都合になるのであれば、今日この場で辞めます」

 タヌキおやじは私を説得しようとしたが、最後にはため息まじりに「わかった」といった。顔をつぶしてしまったかな、と少し気の毒に感じたが、実は「出向を断った」ことが重大なトラブルを回避するターニングポイントだったことに後から気づくのである。

(つづく/(終)へ

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芽生えた命の選択

 15年来の女友だちからは娘ふたりの写真を印刷した年賀状が届いていた。上の娘はもう小学校5年生だという。今年の写真は友だちの顔にうりふたつで思わず大笑い。「こんなソックリになっちゃって……」という感じだ。

 実は彼女がこの子を身ごもったとき、バツイチ子持ちであったうえに、それを隠して年下の男の子と付き合っていた。ある日、彼女から「生理が来ないんだけど〜」と半べその電話が来た。ふたりで待ち合わせてドラッグストアへ行き、行きつけのスナックで即検査。トイレから「うわ〜」と叫び声がして、私とマスターはやっぱりと顔を見合わせたのである。

「どうしよう」と困惑する彼女に、私は「自分で決めなさい」「彼と相談して」としかいえなかった。彼女はカフェでアルバイトをしながら、養育費を一銭ももらわずに子どもを育てていた。もちろん、生活はギリギリ。当時、駆け出しライターで貧乏だった私とたまに焼き鳥屋へ行っては、なじみの店員に「ふたり合わせても有り金3,000円。超えそうになったら注文ストップしてね」なんてやっていたほどだ。だから、そんな彼女に「ひとりで産んで、ひとりで子ども2人を育てなさい」などといえるはずがない。

 妊娠したこと、バツイチであること、子どもを育てていることを話した年下の彼は動揺した。彼女の親は「結婚できるわけじゃないのだから、堕ろしなさい」と出産には大反対。産婦人科に中絶手術を予約したものの、当日になって「やっぱりイヤ。産んで育てる」とドタキャンした。すでに子どもを産み育てている彼女は「せっかくの命を殺すことなんてできない」という気持ちが強かったのだ。そして、親と彼氏を説得して無事に女の子を出産。現在は未入籍ではあるが彼氏と前夫の子ども、そのときお腹にいた女の子、その後生まれた女の子と一緒にシアワセな家庭を築いている。

 私はあのとき以来、困惑する彼女を「自分で決めなさい」と突っぱねたことを後悔していた。もっと親身になっていればよかった、もっと何かできたんじゃないかと。でも、今年の年賀状を見て、そんな偽善は必要なかったんだと気づく。彼女が「産む」と決めたからこそ、「育てることができた」のだし、反対されながらも「家庭を持つ」ことができたのだ。自分の道は誰かに決めてもらうものじゃない。ましてや命の選択ならなおさらのこと。

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年賀状の功罪

 男友だちからメールが届いた。10年ほど前にとある雑誌のライター、読者という立場で知り合い、仲良くなった人だ。ここ数年はお互いに結婚したり、住んでいる場所が離れていることもあって飲みに行く機会が減り、年賀状のやりとりしかしていない。そんな彼からのメールだ。


 昨日年賀状が届きました。ありがとうございます。ブログを読んでいて年賀状どうしようか悩んでいるうちに出しそびれてしまいました。

 嗚呼。読んでいたのか、これを。メールを読む限り「オレは本当にporonさんが元気なのかを知りたいのか」と悩んでいるうちに年が明けたのだと推測できる。

 この記事を書いたせいなのか、今年の年賀状は少ないように思う。本当はみんな「もういいよ、こいつは」と思っていたのだろう。私は彼に年賀状を送っていた。投函したのは30日の早朝。彼の顔を思い浮かべ「元気かい? たまには会いたいねえ」と思いながら送った。なのに、届いたのは1月5日だという。どういうことなんだ。小金井から横浜まではがき1枚を送るのに1週間もかかっていては「私はアンタが元気なのかを知りたいのだよ」という力強いメッセージが届かないではないか。これなら、年賀などと書かずに普通のはがきで出せばよかったよ。

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御礼参り

 いまさらだが初詣の話。元旦早々、地元の神社へ初詣に行った弟から「アネキさ、今日はよしたほうがいいよ」と電話が来た。大晦日に降った雪のせいで境内がぬかるんでいるうえに、例年以上の人出で狭い境内に並びきれず、神社を取り囲むように1キロ近くも行列しているという。

「行列のいちばん後ろに警備員がいてさ、どのくらいかかる?って聞いたら1時間半待ちだってよ」と弟。ディズニーランドか、そこは。

 弟の偵察のおかげで、私は翌2日にお参りすることにした。混雑はやや納まったものの、境内には10メートルほどの行列ができている。昨年、母のガン手術で拝みに来て以来だったので、お礼参りも兼ねての初詣だ。行列に加わり、ジリジリと進んでいき、30分後にようやく賽銭箱の前に立つことができた。

 さぁ、拝まないと。母の手術が無事に終わったことへの感謝、みんなが健康でいられるように。あ、それから仕事もうまくいくといいなぁ…。いや、欲深いのはイカン。家族が健康でいられればいいや。

 そんなことを思いつつ、財布を開くと小銭入れのなかには10円1枚、5円1枚、1円3枚……。あああああっ! いちばん大きい硬貨が10円! いまさら列を抜けて千円札を崩すわけにもいかず、さりとて千円札を投げ入れる度胸はない。仕方ないので隣に並んでいる夫に「小銭ない?」と聞くと、あわてて財布を空け「わあ! 10円しかねえ」とひとこと。結局、娘は5円玉1枚、夫と私は10円ずつの賽銭をし「これが我が家の精一杯です」と拝んできた。なんて、シケた一家なんだ。神さま、ごめんなさい。

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空を舞う黒い影

 我が家は明日から仕事始め。正月休みの最後で天気もよかったので、娘を連れて小金井公園へ凧揚げに行ってきた。園内を歩いていると、なにやら黒い影が頭上を飛んでいる。なんだろうと思い、目をこらして空を見てみると……。

DSCN2827

こんなのが飛んでいた。

こわかった。

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人は変わるもの

 やっぱり来ていた。迷った挙げ句に出さなかった相手からの年賀状。そのなかに、S氏からの年賀状もあった。S氏は約30年前、地元の公民館で子どもたちに遊びを指導していたおじさんだ。いや、小学生だった私から見ればおじさんだったが、きっと当時はまだ30代そこそこだったと思う。○○(地名)レクリエーション研究会の会長だった彼は、子どもたちをキャンプに連れていったり、手作りおもちゃを教えてくれた。私が中学生になり、公民館に行かなくなったころから、なんとなく年賀状のやりとりが続いている。

 当時、私はS氏のことを「子どもと遊んでばかりいて、どうやって食べているのだろうか」と不思議に思っていた。年賀状のやりとりをするうち、彼がドラマの端役として出ていることを知る。「なんだ、売れない俳優なのか」と思ったのもつかの間、翌年の年賀状には「改名しました」という一言とともに、いまだにどうやって読めばいいのかわからない難解な名前が記されていた。そして、改名して以来、年賀状の裏面には占いが印刷されるようになる。「歳をとって占いが趣味になったのか」とおだやかな余生を想像していたが、甘かった。いつの間にかナンタラカンタラ易学連合会という団体の会長になり、今年の年賀状では名誉相談役になっていた。

 なんだか知らないが「名誉相談役」。思わず、肩書きに屈して返事を書く。ふと、見ると小学校の恩師からの年賀状も届いていた。そこには、ウエスタンな衣装に身をつつみ、スクエアダンスを踊る彼の写真が……。人は変わるもの、である。

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