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葬儀をマジメに考える

 親戚が亡くなり、この土日で通夜と告別式が行なわれた。母はいままで行なわれた親戚の葬儀同様、通夜から帰ってすぐに仕込みをし、朝早く起きて煮物や山菜おこわを作って告別式へ出かけていった。へたをすると朝から午後まで何も口にしていない遺族や親戚のため、火葬場の待ち合い室でつまめるように持っていくのだ。私自身も高校生のころから親戚の葬儀にはエプロンを持って出かけていくようになる。ときには、おにぎりや厚焼き卵を作ったり、通夜ぶるまいの席でお酒をついだりもしていた。

 今回も母は料理を持参し、お茶をふるまい、憔悴しきっている遺族の代わりにさまざまな手伝いをしていた。一方、まるでお客さまのように座ったままの親戚も多い。いい年をしたオバサンが、お茶ひとつ入れようとせずに行儀よく座っているさまを見ると、情けない気持ちになる。

 訃報を聞いてすぐ私の母は、親戚中に電話をかけて葬儀の日程を知らせた。しかし、幾人かの親戚は「出られるかどうか相談します」と答えたという。亡くなった人と確執があったとか、場所が遠すぎるという理由ではない。親戚同士の付き合いが少ないからだ。

「父の立場では甥の奥さんだけど、自分は会ったことないし」
「母から見れば、いとこの奥さんだけど、娘の私にとっては遠縁」

 そんな、付き合いの薄さがこういう返事になったのだろう。しかし、自分の親が年老いて参列できないのであれば、子どもが親の代わりに駆け付ける、葬儀ぐらいは義理でも出てほしいと思うのだ。自分とのつながりが薄くても「遺族の母と自分の母が仲良くしていた」「父の葬儀で世話になった」なんていうこともあるはず。結婚して自分の家庭を持ったとしても、それで終わりではなく、親が大切にしていたつながりは子どもが(たとえ少しでも)受け継ぐべき。そんなことを考える私は古くさい人間なのだろうか。

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