アッコちゃん
私には「アッコ」という、いとこがいる。彼女は妊娠中毒症になった母から生まれ、出産時の酸素不足で知的障害者となった子だ。今年33歳でも知的行動はずっと5〜6歳児。私と5歳しか変わらないけれど、いまでは私の娘と気が合うような感じだ。アッコは首が座るのが遅かった。不思議に思った両親がアッコを医者に診せ、発育の状態が遅いと診断される。そのとたん、産みの母は「こんな怪物みたいに気持ち悪い子は私の子じゃない」と家を出て、2度と会うことはなかった。
父親(私のおじ)はその後、アッコを抱えながら出来るさまざまな仕事をし、そのなかで知り合った女性と再婚した。義母となった「しょうこおばさん」はホステスだった。アッコのことを知っていて、なおかつ子どもを産んだ経験がないのに再婚した人だ。産みの親を知らないアッコにとっては、その人はまさに母親=ママ。彼女はいつもアッコにいい服を着せ、町に連れ出していた。「こういう子は身なりだけでもキチンとしていないと、だらしなく見られてしまう」「部屋にとじこもらせていても、成長しない」というのが口癖だった。
そんな、しょうこおばさんは母子感染で肝炎をわずらっていた。肝炎が悪化し、病院のベッドで死のふちを漂っていたときでも、アッコのことを気にしていた。
「はっちゃん(poron)、アッコを頼むね」
そういって、彼女は死んでいった。産みの母以上に、アッコの将来を心配し、後ろ髪を引かれる思いで死んでいったに違いない。
時は過ぎ、私は子どもを持った。そして、子どもを持ったことをきっかけに、保育園とかかわり、小金井市の子どもに関する施策をチェックする委員にもなった。今日(というよりもすでに昨日だが)は午前中、障害児の保護者たちとの意見交換会をし、障害を理解されないゆえの不等な扱い、かゆいところへ手が届かない支援について話を聞いた。午後は、ひとり親家庭へのホームヘルプサービスを行なっている会社へのヒアリングをし、精神的に余裕のない親や、それにまつわる子どもたちへの虐待について話を聞いてきた。夜は市役所での会議で今日の報告とともに、子どもたちへ差し伸べる手、困難を抱える親たちへのケアをどうすべきかを話し合った。
仕事柄、朝から何件もの取材は慣れている。でも今日は「アッコ」と同じように障害を抱える子どものこと、そして親が養育を放棄してしまった件など、非常に重たいテーマを話した1日であり、心身ともに疲れた。人の悩みを受け止めるには、ものすごいエネルギーがいる。たくさんの人の「ぜひ、聞いてほしい」という気力に負けてしまった感じだ。
私にできることはなんだろうか、と思いつつ、会議の後、ヘトヘトになった気力をお酒でまぎらわせいてる自分がいる。私がアッコにしてやれなかったこと、これからアッコにしてあげられること、そしてさまざまな子どもたちにしてあげられることはなんだろうか……。そんなことを考えながら、今夜は眠ろうと思う。
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コメント
昨夜これをアップしたときは、委員会のあとの
新年会で焼酎水割りを10杯飲んで帰宅したとき。
あらためて読むと誤字脱字意味不明文だらけで
おはずかしい限りです。少し手を加えましたが
ご了承ください。
投稿: poron | 2005.01.14 16:35
ご苦労さまでした。
いつも「生きる」という「意味」を
自分に問い直してしまう私です。
投稿: O氏 | 2005.01.15 00:19
人の悩みを受け止めるというのは、非常にエネルギーを必要とすることです。poronさん、本当にお疲れ様です。
「アッコちゃん」で思い出したことがあり、記事にしました。TBさせていただきました。
薄っぺらな優しさではなく、心からの温かさが必要とされている時代なのだろうと思います。そして、なにより「心からの温かさ」とは何か? それが難しいですね。考えさせられます。
投稿: さり | 2005.01.15 18:31
■O氏へ
「生きる意味」よりも
「どうしたら生き長らえるか」ばかりを
考えている私はダメでしょうか?
■さりさんへ
ひさしぶりに疲労困ぱい、という感じでした。
話を聞いて感じたことを、どう生かせるかが
これからの正念場でもあります。
投稿: poron | 2005.01.16 01:52
>「どうしたら生き長らえるか」ばかりを
>考えている私はダメでしょうか?
「生き長らえる」というか「生きる」ことが
まず大前提なので、同じことを言ってるのですが。
ごくごく自然に私の頭の中には
「生きる」という「単語」がグルグル
廻り始めるのです。
「生きるって何?」という問いかけ。
そして答えは、
「生きていることがすべて」
ということになるのです。
うまく説明できませんが。
投稿: O氏 | 2005.01.18 00:31