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新橋酒呑み事情・続

 はじめての方は「新橋酒呑み事情」からお読みください。

 くたびれた橋幸夫はカウンターのなかから「なんだか、かったりいな」とつぶやき、ビールをあおった。まったくもってやる気のなさそうな店なのにマグロはうまい。油断ならねえ……。私とりえ姐は彼がかったるそうに出し続ける料理を食べながら、焼酎の水割りをガフガブ飲んだ。

 30代後半と40代前半の女ライターがふたりで飲んでいれば、話題はもっぱら業界ウラ事情。ありえないほどマージンを抜いているフリー編集者、風前の灯となった編集プロダクション、自転車操業で未払いを続ける有名カメラマンなどなど話はつきない。そうしているうち、いつの間にか10席の店内は常連客で埋まり、店主はあいかわらずかったるそうに接客を続けていた。

 見なれぬ私たちを横目で見ながら、常連客同士で会話がはずむ。なんだか私とりえ姐だけ、浮いてねえか? そんなことを考えたとき突然、橋幸夫が私のグラスに大きな氷を放り込んだ。まだ、飲んでいる最中じゃんか。いささかムッとした私を見て、彼はまたニタリと笑う。

「グラスに耳、当ててみな」

 な、なに? グラス? 耳? 8人の常連客と店主は思いがけない言葉に戸惑う私を、笑顔で見つめている。サラリーマンのおじさん、どこかの管理職をしてそうなおばさん、普段着で日焼けした男性……。みんな微笑みながら静かに私の様子を伺っているのだ。不思議そうなりえ姐の横で、私はグラスにそっと耳に当てた。

(つづく)

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