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2005年10月の記事

屁は死の香り

 私の父は5人兄弟の長男。私が中学生だったころ、祖母が「歳をとってひとり暮らしだと心細い」といいだしたため、母屋を壊して家を建て、同居することにした。祖父は父がまだ成人する前に愛人と逃げ、死ぬまで九州で暮らした。そんな苦難の人生を歩んだせいだろうか、祖母はとにかく気が強い女だった。

 その鼻っ柱の強さは近所でも有名で、線路をへだてた町で親戚が道を訪ねたところ「ああ、あの気の強いばあさんか。何の用事かしらないけれど、訪ねていくなんて大変だねえ」といわれたほどだ。結婚して15年もの間、気ままに暮らしていた母が、そんな祖母とうまくいくわけがなく、家が完成したと同時に「同居」はご破算、祖母は同じ敷地の別棟で暮らすこととなる。そして、嫁姑の戦いはその後、祖母が死ぬまで続いた。

 そんな気の強いばあさんがある日、ポックリと死んだ。胸が痛いといいだして、近所の医院に行ったのだが、待ち合い室でバッタリ倒れ、そのまま帰らぬ人となった。同居して以来、母の泣く姿ばかり見ていた私にとって、祖母の死は悲しいものではなかった。ああ、死んだの。ふーん。という感じだ。母を憎み、父を憎み、それだけでは物足りず、孫の私に対してもチクチクと嫌みをいっていた人だ。うれしかったわけではないが、ああやれやれ、これで嫌なことから開放されるというのが正直な気持ちだった。

 通夜の晩、クタクタになった私たち家族は、風呂に六一〇(むとう)ハップという入浴剤を入れて疲れを癒した。六一○ハップは硫黄が原料というだけあってニオイがすごい。まさに屁のニオイ。風呂場だけでなく家中に充満するほどの威力だ。しかし、どんな入浴剤よりも体は温まり、疲れも取れる。だから「もうダメだ。疲れて死ぬ〜」というときだけに使う、最終兵器なのである。

 そして、告別式の日……。葬儀を済ませた私たちはお坊さんとともにタクシーに乗り込み、火葬場へ向かった。助手席にお坊さん、後ろには私と母、弟が座る。その日は真冬だというのに、まるで春のように暖かい日だった。車内の温度が上がるにつれ、不穏な空気が流れる。……? なにこのニオイ。

 同じく、異様なニオイに首をかしげていた母は「あっ」という顔をして、私を見た。そして、お坊さんに気づかれないよう、何かを伝えようとしている。……ん? 胸元? 喪服の胸元に鼻を突っ込んで、モワ〜ン(手で湯気が出ているようなジェスチャーをしている)。 モワ〜ン? あっ! ああああっ!

 湯上がりにシャワーを浴びたにもかかわらず、私たち親子3人からは六一○ハップのニオイが漂っていたのだ。サンサンと降り注ぐ日射しに、定員いっぱいのタクシー。しかも、窓を締め切ったまま……。あわてて窓を少し開けたものの、タクシーの車内は屁の香りで充満していた。

「屁のニオイがする……」
「オレじゃない……」
「じゃ、誰だ……?」

 お坊さんと運転手さんはそう思っているはず。そんなことを考えたとたん、ものすごい勢いで笑いの神様がやってきて、私の体に乗り移った。

 ブフッ!

 笑いをこらえたら、口から屁みたいな音が出てしまった。もう、もうダメだ……。ますます、屁をこいたと思われる。笑いが止まらず、母はすでに涙目になっていた。押さえても押さえても出てくる笑い声。親子3人、死に物狂いで笑いを押さえようとするも、相乗効果でよりひどい状態に……。泣きマネでごまかそうとも思ったが、そんな小手先のごまかしでは、どうにもならないところまでいっていた。

 火葬場に到着しても、思い出し笑いが次々と私を襲ってくる。花をたむけるときも、お坊さんのお経を聞いている最中も、親戚が集まって話しているときも……。ばあさんの葬式で、狂ったように泣き笑いをする孫。六一○ハップの風呂に入るたび、思い出す事件である。

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ダメなヤツ

 有機溶剤でラリった職人の話を記事にしたところ、リアリティあふれるコメントが続々とついて笑った。私的には「昔、中毒でした。歯なしです」なんていう、ドン引きコメントを期待していたのだが、ここの読者はまっとうな人間が多いらしい。ヨカッタヨカッタ。

 ところで、へらコブラさんのコメント「知り合いが逮捕」で思い出したことがある。中学で同級生だったMくんだ。中学時代はたいして仲良くもなかったが、大人になってからは一緒に酒を飲んだり、家に遊びに来たりと長い付き合いを続けていた。Mはまつげが長くてハーフみたいな顔立ち、いくつになっても「やんちゃな男の子」みたいな男だったが、いつごろからか何やらあやしげな行動が目立ちはじめる。

 夜中に電話をかけてきて「パーティをしているから今から来いよ」という。ロレツはまわらず、受け答えは支離滅裂。素人の私ですら「てめえ、シャブ食ってんだろ」とツッコミたくなるような様子なのに「注射器でさぁ、血を抜いてラリってんだよ」などといいわけをする。

 そんな彼に嫌気がさし、しばらく連絡を取らずにいたところ、ひき逃げをして逮捕されたと友人から聞いた。あわてて彼の実家に電話をかけ、おかあさんと会う。彼女は泣きながら「いろいろと力になってほしい」とアタマを下げた。

 Mが拘置所にいる間、たくさんの手紙を交わした。検閲の印が押された白い便せんには、自分がおかした罪を懺悔することばや親への感謝の気持ちがつづられている。手紙のやりとりは実刑判決、刑務所に入るまで続いた。そして、1年半後……。出所した彼はまっさきに私の家を訪ね、世話になったとお礼をいった。そのとき初めてひき逃げだけでなく、シャブの売人としても罪に問われていたことを知った。訪ねてきたMは真っ白のスーツに白いエナメルの靴。どこからどう見たってただのチンピラだ。それでも私は優しくて気の弱いところのある、子どものころのMに戻ってくれるだろうと期待していた。

 出所後しばらくして彼から「札幌に行く」と連絡が来た。親戚の店を手伝いながら、シャブがらみの付き合いを断ち、更正したいという。おう、がんばれ。おかあさんのためにも、まっとうな人間にならないとダメだよ。

 そして2年後。たまたま取材で札幌を訪れた私は、Mに電話をかけてみた。ひさしぶりに会わない? と聞く私にMは「今日は用事があるから、夜9時以降なら大丈夫」という。仕方がないので、ホテルでひとり夕飯を取りながら、彼からの電話を待つ。9時、10時、11時……。いつまでたっても電話は来ない。部屋に戻り、彼の携帯に電話をしてみるが、電源が切られていて通じない。12時、1時……。ようやく彼から電話がかかってきた。声が聞こえないほど、大音響で音楽が鳴っている。

「ずっと電話を待っていたのに。いまどこにいるの?」
「パーティがあってさ。今から来いよ〜」

 ロレツはまわらず、受け答えは支離滅裂。以前と同じだ。酒なのかクスリなのかは知らないが、更正とはほど遠い生活をしているMに腹が立った。

「いい身分だこと」
「え? なに〜?」
「人ひとり殺しておいて、パーティだと?」
「え? 聞こえないんだけど〜」
「2度と電話するな」
「なに〜?」
「お前なんて死んでしまえ!」

 Mとはそれっきり。ダメなやつは結局、いつまでたってもダメなんだ。どんなに親が苦労しても、どんなに友だちが心配しても、ダメなんだ。そのときの虚しい気持ちは、10年以上たった今でも忘れていない。

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伝説の男

 母が顔なじみの業者に風呂場のリフォームを頼んだ。25年も不動産屋で働き、空き部屋のリフォームでたくさんの業者と取引をしていた母だが、なかでも内装を手掛けるM氏はその人柄やまじめな仕事ぶりで、厚い信頼を置いている。直腸がんをわずらい、会社を退職してからも実家の修繕やリフォームはすべてM氏に頼んでいた。30代後半で小さな工務店の社長をしているM氏は、人あたりもいいが男気もある。義理を受けた人にはとことんつくす、というような、一本筋の通った男なのだ。

 リフォームを計画した当初、勤めていた不動産屋がらみの義理で、母はM氏ではなく他の業者に発注しようと考えていた。それを聞いた私は「退職金もボーナスもなく25年もの間、週に1度きりの休みで働きつづけた上に何の義理があるというの? M氏に頼まないのであればリフォームは反対。他の業者がどんな仕事をするかもわからないのに、それでも頼む?」と猛反対。ほどなくして、M氏に発注をしたと聞き「彼ならきちんとやってくれるはずだ」と安心していた。

 材料費や職人の工賃を差し引けば、自らの儲けはほとんどない状態だというのに「○○さんには長年、お世話になっていますから、ぜひやらせてください。きっちりやりますから」と逆に頭を下げる。洗面所のクロス張りやフローリング敷き、換気扇取り付け、階段のカーペット張り替えまでサービスでしてくれるという。たまたま、大工仕事の原稿を書いていたこともあり、ちょくちょく実家を訪れて工事の様子を見ていたのだが、たくさんの職人を監理し、細部まで気を使っているのがよくわかる仕事ぶりだった。

 ……そして、リフォーム最終日。その日は階段のカーペットを敷き直す作業が予定されていた。前日、M氏は「接着剤を使うので、明日はお出かけしてください。匂いがすごくて頭が痛くなりますから」といい、「アナタは大丈夫なの?」と心配する母に「自分は慣れていますから」と笑っていた。

 朝からひとり、作業を始めるM氏。母はいわれた通りに外出し、私の家にやってきた。そして午後1時ごろ、彼の携帯に電話をかけ、作業の進行状況を確認する。

「あ、作業はどんな感じ?」
「あと5〜6段で終わります。午後3時ごろには家に入れますよ」

 そんなやりとりをし、母は3時になるのを見計らって実家に戻っていた。家につき、玄関のドアを開ける。その瞬間、ものすごい匂いが鼻をつき、母は一瞬めまいを起こした。……この匂い、普通じゃない! 嫌な予感を抱きながら玄関に入ると、うすぐらい階段の下でM氏がうずくまっているのが見えた。

「ちょっと! アンタ何やってんの!」

 大きな怒鳴り声に、M氏はハッと我にかえる。母は窓という窓を開け、M氏を抱えて玄関先に引きずり出した。

「しばらく外にいなさい! そこに座って!」

 M氏はカーペットの接着剤に含まれる有機溶剤(シンナー、トルエン)の急性中毒になっていた。職人仲間でも急性中毒症で死んだ人がいて、その危険性は重々承知。しかも「窓を開けなきゃ」とわかっていたにもかかわらず、そのことすら忘れてしまうほどラリってしまったという。あと数時間、発見しなければ急性中毒症による呼吸困難で死んでいたはずだ。

 母が発見したとき、M氏は張り終えたカーペットの上に接着剤をドボドボと垂らし、ひたすらネリネリしていたらしい。午後1時に電話をしたことも覚えておらず、自分自身どうやってカーペットを張ったのかもわからないと話していた。

 翌日、私が実家にいると、M氏が訪ねてきた。母と私が「いい歳してラリってんじゃねーよ!」とからかうと、M氏は「女房子ども置いて、シンナー中毒なんかで死ねないっすよ」と苦笑い。その日以来、うちの家族はM氏のことを「伝説の男」と呼んでいる。

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まったりバーベキュー

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 心身ともにクタクタになったときは「ゆたかな自然」「うまい飯」「うまい酒」に限る。みなの者たちがあくせくと働いている平日に保育園も仕事も休み、あっくんも誘って4人でバーベキューをしてきた。前日の、しかも夜9時すぎに「明日、バーベキューしたくね?」といい出し、昼過ぎからノソノソと公園へ向かう。なんとも「まったりとしたバーベキュー」だ。

 そもそもバーベキューというものは何日も前から計画をしたり、大所帯でやるものと思いがちだが、気合いを入れて準備をすると、片付けも大変だし、雨が降っただの、早起きしなきゃだの、面倒くさくなる。当日、起きたときに空を見て、適当に買い物をし、最低限の機材で、少人数でやるのがいちばん気楽。酒なんて台所にすっ転がっているやつを寄せ集めれば充分なんである。

 今回もそんな感じで、押し入れにしまったあったグリルと調理道具セットを引っぱりだし、公園へ向かう直前にスーパーで買い物。散歩のご夫人が横切るだけの閑散としたバーベキュー場で、肉をジウジウと焼きながら、シャルドネやビール、ベトナム焼酎、泡盛を飲む。牛もも肉のかたまりは塩とこしょうだけでジックリと焼き、分厚く切ってほおばる。あっくんが通販で購入したホルモン焼きは野菜と一緒に炒めて食べた。冷蔵庫から持って来たきゅうりはスティック状に切り、岩手のおばちゃんが作った南蛮みそをつける。娘はどんぐりと枯葉拾いに夢中だ。ああ、おいしい料理おいしい酒おいしい空気がカラダにしみる……。

 あっくんは昼酒が効きすぎて、2回も酒をこぼしていた。自分の腕に。びしょびしょだよ、アンタの腕……。しかも、ものすごい千鳥足なので娘に笑われていた。まさにドラマに出てくる酔っ払い。千鳥足の見本みたいな(笑)。

 ものすごく贅沢な平日の午後を過ごし、心身ともにリフレッシュ。ああ、もう仕事なんてしたくねーよ!

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寝ても覚めても

 前回の記事からもう10日も経ってんのかよ。やあやあ、みなさんおひさしぶりです。9月末から約半月、毎日仮眠3〜4時間で作業し続け、ようやく入稿の運びとあいなりました。いやあ、つらかった。本気でつらかった。度重なるラフコンテのダメ出し、構成変更による追加取材と写真手配、さらなる構成変更でいままでやった作業が水の泡、刻々と近づく締切日……。なんていうのもつらかったけれど、何がいちばんつらかったかというと、

編集Tがたびたび、夢に出てくること

 ……だった。毎日、睡眠じゃなくて仮眠。それも、たかだか3〜4時間。しかも、ぶっ通しで寝るんじゃなくって、1時間単位でちょろちょろ仮眠して、合計3〜4時間。このぐらいゆっくり寝かせてくれよ、と思っているのに、仮眠するたびに編集Tが出てきて、いろいろ文句をたれる。あるときはコンテのダメ出し、あるときは頼まれてもいない取材原稿の催促、あるときは原稿のダメ出し……。いくら夢とはいえ、これはつらすぎた。あまりにキツいんで編集Tに電話をしたとき、思わずこういった。

「あの、仮眠するたびに夢の中にTさんが出てきやがるんですよ」
「えっ?」
「あーだ、こーだと文句たれたり、挙げ句の果てには頼んでもいない取材原稿が届かないってほざくんです」
「ぼ、ぼくがですかあ?」
「ええ、アンタです」
「えええ?」
「おかげで妙な汗かいちゃって、寝た気がしない」
「夢でうなされるほど、ぼく、そんなにいじめていますかね?」
「2見開きのラフを、それぞれ7回ずつダメ出しして、いじめていないっていうんですかぁ!」

 いや、わかっている。夢のなかのことまで責任持てないよ、とアンタがつぶやきたいのは。もう、自分でも何で怒っているんだかよくわからないんだけど。でも、いわせてくれ。T氏よ。早くこの仕事をスッキリと終わらせようよ。そんでもって「お疲れさん」といってくれ。酒の一杯でもおごってくれ。そうすれば、アンタがまったく知らない「優しいアタシ」を知ることができるんだからさ。……え? 「知りたくない」「これ以上、関わりたくない」なんて、いわないよね。まさか。

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いじわるな私

 いま、小学生向けの百科事典の仕事をしていて、ドツボにハマっている。脳内出血で昏睡状態になりたいと思うほど大変なことになっている。この仕事を受けた翌日、付き合いの長い編集者から企業PR誌の特集を頼まれたが、断っておいてよかった。とても同時進行なんか無理。

 実はこの仕事、私の前に担当していたライターが辞めている。依頼の電話&打ち合わせのときに、それとなく聞いたところ、編集者は「いいラフが作れなくて辞めたんです」といっていた。ラフが作れないぐらいで辞めるか、普通? 8月のうちに取材も撮影も済んでいるのに、9月末になって『降りる』なんて尋常じゃねえな、とは思っていた。

 私に与えられた時間はたったの2週間。前のライターが取材した相手に再度、電話取材をし、撮影された写真でページ構成(ラフ)を考える。足りない写真は追加撮影すればいいや。まあ、なんとかなるだろうと思っていたのが甘かった。ラフを作れど作れどOKが出ない。言われた通りに直しても、ダメ出しされる。内容がどんどん変わり、結局最初に私が提案した構成に戻ったり、まるっきり違う内容になったり……。

 イメージ写真を多用する雑誌と違い、百科事典は手順や技術など細かい説明が必要なため、ページ構成にものすごく手間がかかる。これは仕方のないことなんだけれど、ページ構成が決まらないから、追加取材も追加撮影もできず、作業が進まない。もう、どうしたらいいんだか。こうなってくると、ちょっと編集をいじめたくなるるのが私の悪いクセだ。昨夜、電話の打ち合わせをしたとき、思いきって編集をつっ突いてみた。

「前のライターさんって、ラフのダメ出しが多くて辞めたんですか?」
「え、あ、そ……、そうです」
「ああ、やっぱり」
「……」
「これだけダメ出しされるとねえ」
「うーん、すみません」
「お手上げ、で降りたんですね?」
「ええ、そうなんです」
「私もお手上げにしたいなあ(笑)」
「僕もお手上げにしたいです」
「じゃ、そうしましょう」
「ダメ、ダメですよ」
「でも、ラフが決まらないしなあ」
「すいません、すいません。本当に」
「疲れちゃったしなあ」
「わかってます、わかっています」
「でもなあ……、がんばってみようかなあ」
「がんばってください、がんばって」
「じゃあ、がんばっちゃおうかなあ」
「がんばりましょう。僕もがんばります」

 すいません、すいません。わかってます、わかっています……。同じ言葉を繰り返すだけ。ものすごいアセりっぷりだ(笑)。なんだか、ちょっと気が晴れて元気が出てきた。いじわるだな、私。

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いまだから言える

 みなさん、おひさしぶり。目のほうは少しずつは良くなっているけれど、まだまだ元通りというわけにはいかず、騙し騙し仕事をしている状態。MRとCTで2回ほど検査し、アタマの中身は問題なしということだったが「じわりじわりと内出血して、1カ月後とかに突然死、なんてこともあるからね」と医者が脅かすので、仕事を受けるときは「締め切り直前に死んじゃうかもしれませんよ」というようにしている。ま、そんなんで諦めてくれる編集じゃないのは確かだが。

 今だから言える。後頭部強打の原因は自転車に乗っていたものじゃなく、ストリートファイトである。喧嘩上等、夜露死苦! 本気と書いてマジと読む! 相手はみなさんのご想像通り。なごやかに酒を飲んだ挙げ句、殴り合い、蹴り合いの戦いをし、私は後頭部強打&メガネ半壊、相手はTシャツ全壊&自転車半壊という結果で終了。あのメラメラと赤い光を発するクルマも2台ほど出動いたしました。うーん、スバラシイ! 思いっきりケンカした後の爽快感、っていうんでしょうか? その後の2人はおかげさまで仲良しです。ケンカの末、傷だらけになった2人が草むらに倒れ込む。そして、どちらからともなく笑い出す。「お前、やるじゃねえか」「お前こそ」「ワハハハハ」……そんなドラマのワンシーンみたいな。

 まあ、そんなわけで肉体と精神を癒すつもりでBlogをお休みしていたけれど、仕事がクソ忙しくなってしまい、気分転換に復活しました。今後とも「死ぬまで裏番」の私をヨロシクどうぞ。

※お休み中にいただいたコメント、ありがとうございました。仕事がドツボにハマっているため、お返事は控えさせていただきますが、ご了承ください。また、メールのお返事も遅れています。すんません)

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