屁は死の香り
私の父は5人兄弟の長男。私が中学生だったころ、祖母が「歳をとってひとり暮らしだと心細い」といいだしたため、母屋を壊して家を建て、同居することにした。祖父は父がまだ成人する前に愛人と逃げ、死ぬまで九州で暮らした。そんな苦難の人生を歩んだせいだろうか、祖母はとにかく気が強い女だった。
その鼻っ柱の強さは近所でも有名で、線路をへだてた町で親戚が道を訪ねたところ「ああ、あの気の強いばあさんか。何の用事かしらないけれど、訪ねていくなんて大変だねえ」といわれたほどだ。結婚して15年もの間、気ままに暮らしていた母が、そんな祖母とうまくいくわけがなく、家が完成したと同時に「同居」はご破算、祖母は同じ敷地の別棟で暮らすこととなる。そして、嫁姑の戦いはその後、祖母が死ぬまで続いた。
そんな気の強いばあさんがある日、ポックリと死んだ。胸が痛いといいだして、近所の医院に行ったのだが、待ち合い室でバッタリ倒れ、そのまま帰らぬ人となった。同居して以来、母の泣く姿ばかり見ていた私にとって、祖母の死は悲しいものではなかった。ああ、死んだの。ふーん。という感じだ。母を憎み、父を憎み、それだけでは物足りず、孫の私に対してもチクチクと嫌みをいっていた人だ。うれしかったわけではないが、ああやれやれ、これで嫌なことから開放されるというのが正直な気持ちだった。
通夜の晩、クタクタになった私たち家族は、風呂に六一〇(むとう)ハップという入浴剤を入れて疲れを癒した。六一○ハップは硫黄が原料というだけあってニオイがすごい。まさに屁のニオイ。風呂場だけでなく家中に充満するほどの威力だ。しかし、どんな入浴剤よりも体は温まり、疲れも取れる。だから「もうダメだ。疲れて死ぬ〜」というときだけに使う、最終兵器なのである。
そして、告別式の日……。葬儀を済ませた私たちはお坊さんとともにタクシーに乗り込み、火葬場へ向かった。助手席にお坊さん、後ろには私と母、弟が座る。その日は真冬だというのに、まるで春のように暖かい日だった。車内の温度が上がるにつれ、不穏な空気が流れる。……? なにこのニオイ。
同じく、異様なニオイに首をかしげていた母は「あっ」という顔をして、私を見た。そして、お坊さんに気づかれないよう、何かを伝えようとしている。……ん? 胸元? 喪服の胸元に鼻を突っ込んで、モワ〜ン(手で湯気が出ているようなジェスチャーをしている)。 モワ〜ン? あっ! ああああっ!
湯上がりにシャワーを浴びたにもかかわらず、私たち親子3人からは六一○ハップのニオイが漂っていたのだ。サンサンと降り注ぐ日射しに、定員いっぱいのタクシー。しかも、窓を締め切ったまま……。あわてて窓を少し開けたものの、タクシーの車内は屁の香りで充満していた。
「屁のニオイがする……」
「オレじゃない……」
「じゃ、誰だ……?」
お坊さんと運転手さんはそう思っているはず。そんなことを考えたとたん、ものすごい勢いで笑いの神様がやってきて、私の体に乗り移った。
ブフッ!
笑いをこらえたら、口から屁みたいな音が出てしまった。もう、もうダメだ……。ますます、屁をこいたと思われる。笑いが止まらず、母はすでに涙目になっていた。押さえても押さえても出てくる笑い声。親子3人、死に物狂いで笑いを押さえようとするも、相乗効果でよりひどい状態に……。泣きマネでごまかそうとも思ったが、そんな小手先のごまかしでは、どうにもならないところまでいっていた。
火葬場に到着しても、思い出し笑いが次々と私を襲ってくる。花をたむけるときも、お坊さんのお経を聞いている最中も、親戚が集まって話しているときも……。ばあさんの葬式で、狂ったように泣き笑いをする孫。六一○ハップの風呂に入るたび、思い出す事件である。
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