伝説の男
母が顔なじみの業者に風呂場のリフォームを頼んだ。25年も不動産屋で働き、空き部屋のリフォームでたくさんの業者と取引をしていた母だが、なかでも内装を手掛けるM氏はその人柄やまじめな仕事ぶりで、厚い信頼を置いている。直腸がんをわずらい、会社を退職してからも実家の修繕やリフォームはすべてM氏に頼んでいた。30代後半で小さな工務店の社長をしているM氏は、人あたりもいいが男気もある。義理を受けた人にはとことんつくす、というような、一本筋の通った男なのだ。
リフォームを計画した当初、勤めていた不動産屋がらみの義理で、母はM氏ではなく他の業者に発注しようと考えていた。それを聞いた私は「退職金もボーナスもなく25年もの間、週に1度きりの休みで働きつづけた上に何の義理があるというの? M氏に頼まないのであればリフォームは反対。他の業者がどんな仕事をするかもわからないのに、それでも頼む?」と猛反対。ほどなくして、M氏に発注をしたと聞き「彼ならきちんとやってくれるはずだ」と安心していた。
材料費や職人の工賃を差し引けば、自らの儲けはほとんどない状態だというのに「○○さんには長年、お世話になっていますから、ぜひやらせてください。きっちりやりますから」と逆に頭を下げる。洗面所のクロス張りやフローリング敷き、換気扇取り付け、階段のカーペット張り替えまでサービスでしてくれるという。たまたま、大工仕事の原稿を書いていたこともあり、ちょくちょく実家を訪れて工事の様子を見ていたのだが、たくさんの職人を監理し、細部まで気を使っているのがよくわかる仕事ぶりだった。
……そして、リフォーム最終日。その日は階段のカーペットを敷き直す作業が予定されていた。前日、M氏は「接着剤を使うので、明日はお出かけしてください。匂いがすごくて頭が痛くなりますから」といい、「アナタは大丈夫なの?」と心配する母に「自分は慣れていますから」と笑っていた。
朝からひとり、作業を始めるM氏。母はいわれた通りに外出し、私の家にやってきた。そして午後1時ごろ、彼の携帯に電話をかけ、作業の進行状況を確認する。
「あ、作業はどんな感じ?」
「あと5〜6段で終わります。午後3時ごろには家に入れますよ」
そんなやりとりをし、母は3時になるのを見計らって実家に戻っていた。家につき、玄関のドアを開ける。その瞬間、ものすごい匂いが鼻をつき、母は一瞬めまいを起こした。……この匂い、普通じゃない! 嫌な予感を抱きながら玄関に入ると、うすぐらい階段の下でM氏がうずくまっているのが見えた。
「ちょっと! アンタ何やってんの!」
大きな怒鳴り声に、M氏はハッと我にかえる。母は窓という窓を開け、M氏を抱えて玄関先に引きずり出した。
「しばらく外にいなさい! そこに座って!」
M氏はカーペットの接着剤に含まれる有機溶剤(シンナー、トルエン)の急性中毒になっていた。職人仲間でも急性中毒症で死んだ人がいて、その危険性は重々承知。しかも「窓を開けなきゃ」とわかっていたにもかかわらず、そのことすら忘れてしまうほどラリってしまったという。あと数時間、発見しなければ急性中毒症による呼吸困難で死んでいたはずだ。
母が発見したとき、M氏は張り終えたカーペットの上に接着剤をドボドボと垂らし、ひたすらネリネリしていたらしい。午後1時に電話をしたことも覚えておらず、自分自身どうやってカーペットを張ったのかもわからないと話していた。
翌日、私が実家にいると、M氏が訪ねてきた。母と私が「いい歳してラリってんじゃねーよ!」とからかうと、M氏は「女房子ども置いて、シンナー中毒なんかで死ねないっすよ」と苦笑い。その日以来、うちの家族はM氏のことを「伝説の男」と呼んでいる。
| 固定リンク
「家族ネタ」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
poronさん、こんにちは、
いいですね、こういう人男気があって仕事にバカ正直なくらい一生懸命になれる人が大好きです。 (~o~)
どこかの「悪徳不動産屋」に教えてあげたいくらいです。 (^^)v
投稿: 龍人 | 2005.10.25 06:18
やっぱり溶剤使った作業って怖いですねえ。
学生の頃、学校の実験室で機材の洗浄に溶剤を使わざる得ないところがあって、その日も早めに来たメンバーが洗っていたわけですが、僕らが実験室についてドアを開けたら…そこにはヘラヘラ笑いながら洗浄作業をやってる人たちが(^^;; バカヤローと窓を全開、ヘラヘラ笑うメンバーを引きずり出して。。
poronさんも書かれてますが、「あーやべぇ窓開けわすれてた、開けなきゃぁ」と思うものの動けなくなっちゃってたそうだ。
ベテランの職人さんでもそういうことがあるんですねえ。最悪の事故にならなくてよかったよかった。
投稿: くっきも | 2005.10.25 08:07
? ? ?
投稿: poohpapa | 2005.10.25 08:33
知り合いが、やはり接着剤の溶剤でラリってターイホ(+_+)☆\(-_-#)バキッ
なので、笑えませんorz
ちなみにソイツは常習者でした。今は何してるやら.......
投稿: へらコブラ | 2005.10.25 08:54
すごい! まさに「伝説の男」です!
そして、その職人さんに仕事を任せるべき!と押し通したporonさんもすてきです。いよっ! なんて男らしいんでしょう!
職人さんも、それに応えてくれましたね〜。ラリラリになるまで……。
うん、すごい! いろんな意味で小金井方面はすごいところだ。
投稿: さり | 2005.10.25 11:15
その昔、電気やさんがトイレの点検口で結線作業をしようとしたらペンキやさんが作業中でした。
で「すぐ終わるんでちょっと良いですか?」
ぺ「今から飯にするとこだから良いよ」
で「すいませんね」
ぺ「でも喚起悪いからちょこちょこ休憩しながらの方が良いよ」
で「すぐ終わりますから~」
一時間後。。。
ぺ「電気やさんまだやってんの?大丈夫?」
で「らいりょぶれふ!もうひょっとれおはりはすはら~」
ぺ「大丈夫じゃないじゃん。。。」
ホントに怖いですね~
ちなみに私のことではありません。
念のため。
投稿: しげちん | 2005.10.25 11:58
特に建設業界では、こういった"職人気質"な人は貴重になってしまいましたね。
でも30代後半だなんて、珍しいですね。
記事の後半はなんだか危険な感じでしたが
前半のようにほのぼのとしながらも熱い信頼関係・・・いいですね。
ホント、シンナーやトルエンなど気をつけないといけないですよね。
うちの家系も建築系が多いのですがやっぱりなれていても
気をつけないと危険です。
投稿: 株トムシ | 2005.10.25 22:07
労働安全衛生法(及び施行規則)的にはどうかと思ったけれど、この方の職人気質に惚れました。
伝説の男に、起死回生の光を!!
(切に)
投稿: keichan | 2005.10.25 22:58
■龍人さん
コメント読んで吹き出しました(笑)。
これを読んだときの本人の顔が目に浮かびます。
こういう職人気質というか、男気のある人って
最近はなかなかいないんですよねえ。
むしろ、女のほうが男気があるし。
■くっきもさん
をを、アブナイアブナイ!
私はシンナー遊びはしたことないんで、ラリった感じは
よくわからないんだけど、お酒に酔ったみたいになるのかな?
同じ酩酊状態なら、酒飲んでラリったほうがいいな(笑)。
■poohpapaさん
アナタですよ、アナタ。
■へらコブラさん
脳は委縮するし、歯は溶けるし、ひどいと死んじゃうのに
どうしてやめられないんでしょうかねえ……。
■さりさん
ラリって張ったわりには、仕上がりは完璧でしたよ。
さすが職人と妙な感心をしてしまいました。
仕事しなくちゃ、ちゃんと仕上げなきゃと心の奥底で
葛藤していたのかもしれませんね。
■しげちんさん
読めば読むほど、その電気やさん=しげちんさんに
思えるんですけど(笑)。あまりにもリアルな話なんで。
■株トムシさん
ホノボノしているようで殺伐とすることも……。
ラリった数日後、我が家にやってきた職人M氏。
「ホントに先日はすいませんでしたぁ……、
で、あのこれ、請求書です」
うちの母、なんていったと思います?
「どのツラ下げて請求書なんか持ってきたんだ〜(笑)」
「まさかネリネリして遊んだ接着剤代も入ってんるんじゃ
ないでしょーねっ」
……職人M氏、泣き笑いしていました。
■keichanさん
元気にお仕事されているようですよ。
事故にならずにホント、よかったです。
投稿: poron | 2005.10.29 00:57