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2005年11月の記事

ブリ照りとふきの煮物

 少しは風邪がよくなったな、と油断したのがいけなかった。昼ごろから調子がイマイチだなとは気づいていたが、夕飯を作るころにはカラダがだるくて立っているのもつらい。出前でもなんでもいいから、夕飯は勘弁してくれないかなあと思いつつも、プリプリでうまそうなブリが一切れ100円だったから買ってきちゃったんだよね。ここ数日、夫が「ブリ照り〜、ブリ照り食いてえ」とうるさかったのだが「まだ高い。一切れ100円になるまで我慢しろ」といっていたのだ。

 スーパーにクルマを横付けすると、魚屋が店頭セールをしていた。ダミ声でつるっぱげのおっさんが「奥さん、今日はブリが安いよ。こんだけいいブリがなんと100円! 買っていかなきゃ損だよ」なんて叫んでいるものだから、買わないわけにはいかない。スーパーに入ると今度は「3Lサイズ ふき 99円 本日限り」の札が。ああああ、ふき! 娘が好きじゃんかよう。しかも、お前、刀かよと思うほどの特長サイズ。私の身長ぐらいある。片手で持つとマサイ族みたいだ。

 かくして、風邪で朦朧となりながらブリの照焼きとフキの煮物を作るハメに……。ブリの照焼き自体はむずかしいものじゃないけれど、体力が消耗しているカラダで作る大根おろしはつらかった。ふきの煮物自体はどうってことはないけれど、下ゆでしたり、皮をむいたりが面倒。でも、がんばったよ、母ちゃんは。

 食器の片づけを夫に頼み、8時には布団に入る。「今日、私の誕生日だったんだよなあ。誕生日にブリ照りとふきの煮物か……。ま、いいか。いまさらケーキって歳でもないし」と思っていたら、娘がトコトコと寝室に来て「ママ、明日ケーキね」とささやき、再びリビングに戻っていった。こうなったら、ロウソクの代わりにケーキにふきでもオッ立ててやるか。

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ミドリの舌を持つ女

 仕事が忙しくて医者に行くヒマがない。だから、家に残っている薬で何とかごまかそう。……風邪をひいた夫がそんなことをしているうちに、娘も私も風邪をうつされてダウン。ノドはヒリヒリ、微熱で朦朧。親子3人で行きつけの耳鼻咽喉科を訪れる。

 娘と夫の診察が済み、私の順番がまわってきた。イスに座ったとたん「お父さんの風邪が蔓延しちゃったみたいだねえ」と先生がつぶやく。

ワタシ「ノドが痛くて、微熱も。それからタンとセキ。」
センセ「じゃあ、ちょっとノド見せて。はい、あーっ」
ワタシ「あー」
センセ「わあ、ノド真っ赤。(3人のうち)いちばんひどい」
ワタシ「……(落胆)」

 その瞬間、念入りにノドをのぞいていた先生に緊張が走った。

センセ「……ん? んんん?」
ワタシ「んんん?」
センセ「この、ミドリのは何かしたんですか?」
ワタシ「は? ミドリ?」
センセ「舌が……、ミドリなんです」
ワタシ「はぁ?」

 舌がミドリ? 何をいっているんだ? ななななな、なんかの病気なんでしょうか、センセ! あきらかに先生は気味悪がっている。幾人もの患者を診てきている耳鼻咽喉科の医師ですら、診たことがないミドリの舌を持つ女を……。

「何か飲んだんじゃないの?」と聞かれて、ふとひらめいた! 思い出した! あまりのノドの痛みに耐えられず、以前この病院でもらったトローチをなめてきたのだ。センセ、アンタが出してくれたトローチだよ!

 診察室から出て、すぐさま夫と娘に「舌がミドリだってさ! ほれ、べーッ」と見せてみた。2人は「うわっ、気持ちわるっ」「うええ、ミドリだ〜」と言いたい放題。なんだか熱が上がってきたような気がする。

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やっぱりアタマが変だ。

 撮影で出かけた夫から電話。「明日の撮影の詳細を教えてくださいって、デザイナーの○○さんにメールして」と頼まれる。まだ朝早い時間で、先方の事務所がまだ開いておらず、事務所が開く時間になると今度は夫が携帯の使えない環境になる。そのため、今のうちにメールを入れておいて、というわけだ。

「わかった! 私からメール入れておくよ」

 さっそくメール作成にかかる。夫の名でメールを送ると先方が「電話したほうが早い」と携帯に電話をし、連絡が行き違ってしまうかもしれない。そのため、あえて私の名前でメールを書く。

 まずは「○○(夫の名)がいつもお世話になっております」から始めよう。あ、でも取引先だからちょっと丁寧に「○○がいつもお世話になり、ありがとうございます」にしようかな。……こんなことを考えたのが間違いだった。さっきふと送ったメールを読み返したところ、こう書いてあった。

 ○○がいつもお世話になりっております。

「なりっております」って……(笑)。

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私のアタマが変なのは熱のせいだと思いたい。

 タミフルの服用で異常行動死、という日本小児感染症学会での報告が思わぬ波紋を広げているが、本当のところはどうなんだと問いつめたい。中学生になるまで熱を出すたびにそりゃもうすごい狂いっぷりだった私としては、地の果てでようやく仲間を見つけることができた旅人のごとく、親近感あふれるニュースである。ああ、お前もか、みたいな。

 小学生のころ、インフルエンザに関わらず、単なる風邪っぴきの熱でもいちいち狂っていた。大人になってからこうした症状は熱せん妄(ねつせんもう)というもので、高熱で意識が朦朧としているときに幻覚や錯乱が起きることだと知ったのだが、それまではナゼ自分だけという思いがあった。私の場合、熱が出た晩は決まってこの状態になっていて、それはそれはオソロシイものだった。ちゃんと目が覚めていて、見なれた寝室のいつもの布団に寝ているのに、現実と幻と夢がごっちゃになったような感覚。たとえばこんな感じだ。

●部屋が広くなる。体育館にポツンとひとり寝ているような錯角を起こす。

●天井が5メートルぐらいの高さになる。照明器具は遥か彼方。

●枕が岩のように固くなる。起きあがって枕を叩いてもカチカチ。

●布団が重くて固くなる。タンスを乗せて寝ている感じ。

●ベランダで飼っていたインコが耳もとで大音響で鳴く。

●母が水仕事をしていると、耳もとで大音量で聞こえる。

●家ぐらいの巨大な箱に私が入っていて、なぜか鉄くずに埋もれている。ものすごく痛い。

●優しく看病する母がなぜかものすごく怖い。ママ、コワイコワイキライキライと連呼して母はさめざめと泣いたらしい。今だに母は「あのときはショックだった」と怨めしそうにいう。

●寝ぼけているのかと思った母が、私を洗面所に連れていき冷たい水で顔を洗わせたが、脳がやられているので効果はまったくなく、アワワワ、ママコワイ、枕カタイ〜、天井遠〜い、アワワワと泣き叫び、何度となく「先生、娘が〜、娘が〜、娘が狂った! 助けて〜、センセ!」と医者に電話をかけた。

 ……こんなことが熱を出すたびに起こる。夜通し狂っている私もつらいが、それを看病する母も死にそうになっていた。今思えば、よくベランダからダイブしなかったよな、あのころは団地の5階に住んでいたからなあ、などと少しばかり感慨深いものがある。あまりに何度もアタマがやられちゃったせいで、こんな大人になったのかと納得できる部分もあるのだが、タミフル服用時の異常行動は果たして薬のせいなのか、はたまた熱せん妄のせいなのか。非常に気にかかるわけで……。

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不文律

 同窓会のついでに、ということで倉敷のおじさんが泊まりにきた。お義母さんの弟、つまり夫の叔父だ。結婚式をしなかったから、私とおじさんが会うのは今回が初めてなのだが、結婚当初からメールのやりとりをしていたので初対面という気がしない。いつも吹き出してしまうような、ユーモアたっぷりのメールをくれるので、ものすごいテンションの高い人かと想像していたが、実際のおじさんはそれはそれは物静かな人であった。

 夜はささやかな料理とお酒でのんびりと過ごす。おじさんは大好きなビールをゴクゴクと飲み、時折つまみに手を伸ばし、クッションを枕にゴロリと横になっていた。ニュースを見ながら、ひとことふたことつぶやくと、また黙ってしまう。最初は夫も「おばさんは元気ですか?」「孫の○○ちゃんはいまいくつだっけ?」などと話しかけていたが、あまりに会話が続かないので諦めたらしい。

 私としてはくつろいでもらえればそれでいいし、騒々しく宴会をするのは気が進まない。まあ、いいじゃないの。無理してお客さんを盛り上げようとしなくても。そもそも私の父がこんな感じの人だから、そっけないほど静かな客人に対して、あまり気を使わずに済んだのかもしれない。

 ところが、だ。おじさんはひとつだけにぎやかな面を持ち合わせていた。ゴロリと横になりながら「ブウ」「ブーッ」と屁を放つ。そして「失礼」とか「あ、ごめん」というわけでもなく、何ごともなかったようにニュースを見ているのだ。しゃべらないんだけど、ケツはにぎやか。

 我が家はオナラ厳禁ではない。ただし、娘のしつけのため「食事のときはやめようね」「どうしてもしたくなったら、あっち(廊下)に行ってしてくること」「でも出ちゃったらゴメンとかシッツレーとかいおうね」と話している。なのに、おじさんは知らん顔。さて、どうしたものか。娘をチラと見ると、まるで何も聞こえなかったかのように塗り絵を続けている。ああ、気づかなかったんだな。ヨカッタヨカッタ。

「ブウウ」

 おじさんが4回目の屁をしたときだ。それまで静かに塗り絵をしていた娘が、キッと顔を上げ、おじさんに向かってこういった。

「ちょっとお! ブーブーブーブーしないでよね!」
「シッツレーっていわなくちゃダメでしょう?」
「オナラはねえ、ウンチが出たい〜っていっている合図なんだよ!」
「だから、早くウンチしておいでよ!」

 5歳の娘にトップリと叱られ「そうかあ、合図なのかあ。ウンチしなくちゃなあ」とつぶやくおじさん。私は隅っこでうつむきながらも、いいつけをキチンと守った娘を誇らしく思った。屁とウンチに関わる不文律。我が家では客人といえども「しつけ」られてしまうのである。

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ささやかな幸せ

 過労死一歩手前かもしれない、と思うほど夫の仕事が忙しい。印刷機メーカーや化粧品会社、自動車メーカーの販促誌の撮影で、福井京都千葉と出張し、今日明日は高知へ。東京に戻ってくると土日は舞浜のホテルでブライダル撮影。まあ、家にいたところで一銭にもならない職業なので、忙しいのはいいことなのだが、家事育児に協力的な夫が留守ということは、思いのほか大変だと気づく。よく、夫は仕事ばかりで育児ノイローゼ〜幼児虐待とか無理心中なんていうパターンがあるが、まあ気持ちはわからんでもない。しかしながら、なんでも一生懸命にやろうとしたり、私って不幸と思うからつらいのであって、ほどほどに楽しければ、なんとかなるんじゃないかと思うのはキレイごとか?

 我が家も夫が不在のここ数週間、親子ふたり、つつましくも楽しく暮らしている。昨日なんかは娘にせがまれて農工大の学園祭に行ってきた。クソ寒いなか、芝生に座ってお笑い芸人を見る。娘はナマで見るまちゃまちゃに興奮し、インパルス堤下の「てめえブタブタっていうな!」というキレっぷりに笑っていたが、私としては目の前に座っていた女子大生がウンコ座りで豚汁を食い、しかもそのケツにネチャネチャのガムがくっついていたことや、学園祭のにぎわいをよそにドボドボ落ちてくる銀杏を狂ったように拾うババアとか、サイン会をしていた生協の白石さんのすっとぼけたナマ顔のほうがおもしろかった。

 人間なんてものは、幸せとか楽しさをどこに見出せるかが大事であって、大混雑の芝生でギュウギュウ詰めになって座り、ケツは冷たくなるし動けないしイマイチ笑えねえと思ったところで、これっぽっちもいいことなんてない。「あのときケツにガムがついていますよといえばよかったか」「あのババアは銀杏くさいと夫に責められていないだろうか」「白石さんの印税はいくらなのか」などと、夜通し考えてニタニタできるぐらいじゃないと、こんなロクでもない世の中で生き抜いていくのは大変なのである。

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ポーズで遊ぶ

 先日、とある販促誌の仕事でヨガの取材をしたのだが、イラストレーターに渡すラフ作りにひと苦労。デッサン用のポーズ人形を真似て、ドローソフトでこんなのを描いてみたのだが……。

yoga

 思いがけず面白いので、いろいろといじって遊んでみた。変なポーズができた。

yoga02

 題して「誘う女」と「呪縛女」。……疲れているかもな、私。


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血は水よりも濃し

 男勝りでがらっぱち、喧嘩早くて波瀾に富んだ人生を歩む。生真面目で無口な父親と、明るくて家庭的な母から生まれたにしては【何かが違う】ような気がしてはいたのだが……。

 父と母と弟の血液型はA型、私はO型……。しかも両親が「多摩川を散歩していたときに、段ボールに入ったお前が流れてきたんだ」などと作り話をするため、血液型についての知識をロクに持っていなかった私は、自分を「本当の子じゃない」と信じていた。父はバツイチで母と結婚。だから「私は前妻の子なんだ」と納得する。

 高校生になってもそんなことを信じている私を見て、あきれた母が戸籍謄本を取り寄せた。そして、このくだらない「薄幸の少女」物語は終わりを告げたが、それでもただ何となく【両親と似ていない部分】を感じとっていたのである。

 ……そして昨日、ひょんなことから自分のルーツを知ることとなる。親戚のおじと父との会話で、愛人と九州に住んでいた祖父の話が出てきた。「ところで、おじいちゃんはいつごろ家を出たの? 愛人を作ってから? それとも他の原因があったの?」と聞いたところ、小一時間に渡って鶴男(おじいちゃん)の半生を聞かさせる羽目になった。

 鶴男は戦前、弁士(無声映画の語り手)や遊廓の用心棒(地廻り)などもしていたそうだ。地廻りとはいわば、遊廓周辺をごろつくチンピラみたいなもの。女にはモテるが、年中喧嘩ばかりの生活を送っていたという。そんな鶴男にも好きな女ができ、私の祖母と結婚する。そして、父が生まれ「いつまでもこんな生活は続けていけない。カタギになろう」と足を洗った。しかし、しょせん町のチンピラだ。工場に勤めたものの、長続きせずに辞めてしまう。

「弁士をやっていただけあって、口がうまいんだから商売でもやれよ」

 そんな誘いに応じて始めたのが、地方を転々とするテキヤの仕事だ。戦後、全国的な組織であった全日本飯島連合会(現在の飯島会)に身を置き、盛り場などでさまざまなものを売っていたという。

「足を洗ったのに、結局ヤクザになったわけ?」

 そう聞くと父とおじは「実はそうだったんだよ」と苦笑いをした。宴会があると、殴り込みを警戒して座布団の下にドスを忍ばせながら酒を飲んでいた鶴男。幼いころからほとんど家にはおらず、父が17歳のときに博多に店を構えたきり、東京に戻ることはなかった。そして、その後は愛人とともに暮らし、お骨になって帰ってきた。

 酒、博打、女、喧嘩……。わずかな金だけを東京に送り、好き放題の一生を過ごした祖父。そして、そんな祖父とは違う人生を歩もうと、夜学に通い警察官になった父。真面目で努力家の父の血を引く私が、なぜヤクザなライター稼業をし、酒に目がない豪快な人生を歩むのか。「なぜ両親と違うのか」「いったい誰に似たのだろう」という長年の疑問に、ようやく合点がいった。鶴男の血を受け継ぐ女、それが私なのである。

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毛布

 広島のお義母さんから荷物が届いた。保育園から帰ってきた娘が、ウキウキしながら荷を開ける。たぶん、毎月送ってくれている幼児雑誌だろう、と思っていたら……。

「ママ〜! 毛布! 毛布がはいってるう〜」

 は? 毛布? あの小さい箱に毛布なんか入っていたんかいな。どれどれ……。


DSCN4483


 それ、ユニクロのフリースなんですけど(笑)。おばあちゃんがオマエのために送ってくれたというのに、毛布はないでしょうよ。お義母さん……、すみません。


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