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思うこと

 先月からかかりきりだった『整体』の実用書。担当ページ分の編集と原稿書きを終えて、どうにかデザイン出し終えた。途中からは同時進行で某スポーツ用品ブランドの『ニュースレター』を執筆し、昨日どうにか入稿にこじつける。これまた同時進行で夫が依頼された『鉄道マニア向けドリル』の問題づくりを手伝う。これは今週いっぱいかかる予定だ。ここのところ、アタマのなかは「骨盤、ろっ骨、ツボ刺激」「シューズ、裸足、土踏まず」「EF65形、機関区、重連運転」といった言葉でいっぱい。とてもblogにエネルギーをまわせる状態じゃなかったため、更新が途絶えていたのだ。ようやくうっすらと出口が見えてきた気がする。……いや、気のせいじゃないことを祈りたい。

‥‥そんなワケで、あたし的には(byきっこ)死にそうな数日間だったんだけど、なんとか復活しつつあるのでblogを書くことにした。実は締切り地獄の橋を渡っている最中も、ときどき「ああ、息抜きしちゃおっかな」と思ったこともあったけれど、なんせ最後にアップしたのが「子殺しの罪」。コメントも返さず、放置していたのに、何ごともなかったように下ネタ満載の記事をアップするわけにもいかず、さりとてマジレスしたり、子殺しの追加記事を書く気力もなく、ますます更新が滞るという悪循環に陥っていた。でもちょっと時間ができたので書く。マジメに書くよ。

「子殺しの罪」については、いろいろなコメントをいただいた。母親に対する怒りや悲しみもあれば、この母親の心について考えたもの、司法や社会のあり方を問うものなど……。この記事をアップするときにさまざまな意見があるだろうと想像はしていたものの、読みながら複雑な気持ちになったコメントもある。

 たぶん考え方の違いというよりも、どこに目が行くか(関心)の違いなんだろうが、今回の事件は母親の生活や心の葛藤、社会の在り方よりも「幼い子を殺した。しかも、肉体的にも精神的にも残虐な方法で」ということに目を向けるべきだと思っている。私は昨年の夏まで約2年間、市の子育て支援計画の作成に携わっていたが、なかでも虐待問題については緊急に対応策を取る必要があり、関係各所のヒアリングや議論を重ねてきた。そのとき、児童相談所や家庭支援センターで、みなが口を揃えていった言葉がある。

「虐待を認めず、助けを拒否する人にはどうすることもできない」

 東京都のデータ(15年度の虐待に関する相談処理から算出)では、虐待者の66.4%は母親だ。そのなかでも虐待を行なっていると認めなかったり、児童相談所があらゆる方法で手を差し伸べても、それを拒否する親がいるのだという。そんなとき、現在の制度や担当者の数では充分なケア(親、子ども両方に対する)ができないのだ。

 この母親には離婚や家計を支えるプレッシャーなどがあったのかもしれないが、そもそも「長男の親権を取るために、仕方なく二男を引き取った」と供述(下記のRNC西日本ニュース参照)しているあたり、離婚前から愛情なんてみじんもなかったのだろう。離婚後は実家で実母と一緒に暮らしていたし、殺された子どもを保育園にも通わせていた。つまり、子どもの面倒を見てくれるであろう実母と生活し、保育所という子育て支援も受けていたのである。事実、この子どもが虐待された始めたのは『実母の体調が悪くなり、孫の面倒を見られなくなってから』だ(下記のasahi.comを参照)。このころから保育園を休むようになり、保育士からの電話や訪問には「子どもの具合が悪い」と答え、子どもには合わせなかったという。本当に精神的にも肉体的にも辛かったのであれば、行政や保育士に助けを求めることもできたはずだ。手を差し伸べても、それをつかむ気がなければ、いくら「虐待するまでになった母親の心理」を思いやり「社会の在り方」を考え「手厚い子育て支援」をしたところで虐待は減らない。

 たとえば自分の娘が、夫に性的虐待されていたら? たとえばその言い訳が「お前がやらせてくれなかったから」だったら? それは果たして妻(自分)が悪かったのだろうか?

 たとえば自分が、夫に虐待され、電気もない納戸に閉じ込められて、トイレにも行かせてもらえず、食事は1日2回菓子やジュースをドアの前に置かれていたら? ドアの近くで、別の女と仲良く生活していたら? そしてその理由が「他の女のほうがかわいい。お前はなつかないから」だったら? 「ああ、仕方ない」と思えるのだろうか?

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RNC西日本ニュースより(現在、すでに削除されています)
育児放棄で息子死の母親、起訴 
2/28 17:54

 高松市に住む母親が3歳になる二男に十分な食事を与えず死亡させた事件で高松地方検察庁は今日この母親を保護責任者遺棄致死の罪で起訴しました。起訴されたのは高松市浜ノ町の飲食店従業員山下愛被告25歳です。起訴状によりますと山下被告は去年12月下旬頃から二男の歩夢くん3歳に十分な食事を与えないうえ着替えもほとんどさせない不衛生な状態で自宅3階の納戸に寝かせたままにして今月5日頃栄養失調で死亡させたとされています。山下被告は夜の仕事に出る前後の午後7時頃と深夜2時頃の1日2回、雑炊やドーナツなどの食事を歩夢くんが寝ている納戸の前に置くだけで食べている姿も確認していなかったという事です。
 調べに対し山下被告は「死ぬとは思わなかった。離婚の際長男の親権を取るため仕方なく二男を引き取った」と供述しています。

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asahi.com:「育児、煩わしかった」 地検、母親を起訴 - マイタウン香川

「育児、煩わしかった」 地検、母親を起訴
2006年03月01日

 高松市浜ノ町の自宅で3歳の男児が十分な食事を与えられず死亡した事件で、高松地検は28日、母親の飲食店従業員山下愛容疑者(25)を保護責任者遺棄致死罪で起訴した。
 起訴状によると、山下容疑者は昨年12月下旬ごろから、自宅3階で次男の歩夢(あゆ・む)ちゃんを押し入れの中に寝かせたまま十分な食事を与えず育児を放棄し、今年2月5日ごろ栄養失調で死亡させたとされる。
 地検は当初、殺人の疑いもあるとみて捜査を進めたが、山下容疑者が「やせ衰えているとも死ぬとも思わなかった」「食事が十分だったかどうか考えてもいなかった」などと供述したため、殺意はなかったと判断した。
 動機については「次男より長男に愛情を注いでおり、なつかなかった歩夢ちゃんの育児が煩わしくなった」と話しているという。地検によると、同居する祖母(48)が昨年9月ごろから体調を崩すなどして歩夢ちゃんの面倒をみられなくなった後は、山下容疑者が1日2回、押し入れの外に菓子類やジュースを置いておくだけになったという。

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「雑ネタ」カテゴリの記事

コメント

差し伸べる手を掴む気のない人は救えない……ここに激しく同感します。
懸命に手を差し伸べていた人たちの虚しさを思うとやりきれません。

投稿: さり | 2006.03.14 11:25

お仕事お疲れ様です。暖かかったり寒かったりしますが、体調崩さないように気をつけて下さいね。特に仕事の切れ目は要注意っす。


確かに、「幼児が残虐に殺された」という事実を見つめる必要があると思います。

「虐待を認めず、助けを拒否する人にはどうすることもできない」

と言う言葉はその事実を直視していない人の言葉に見えます。
なぜ拒否するのか、虐待を認めないのか・・・それは母親本人がそう思ってないか
認めたくないか・・・

でも「子供が虐待されて死にそう」と言う事実を見れば母親が認めようが
認めなかろうが関係なく強制的に保護することもできるはずですよね。

手を差し伸べても拒否される、で止まるのは差し伸べてますよぉっていうポーズで
あり自己満足でしかないと・・・私は思いました。

そういう意味で前回記事にコメントした際には司法制度だとかを責めるより
社会だとか人のありかたをもっと自覚すべきだと書かせて頂きました。

人の命にタラ、レバはありません。
でも、「幼児虐待死」の事実から第二、第三の事件が起こらないように
するにはどうしたらいいか、という想いがなければ根本的な解決はいつまでたっても
できませんよね。

投稿: よっつぁん | 2006.03.14 20:23

「生物は何のために生きているのか」という命題に対して、
「増えるために生きる」という生物学的な面と、
「それぞれの価値観による生き方」という哲学的な面があると感じています。

「人間の子殺し」という行動は、
生物の本能として狂っている行動であって、
だからこそ社会という集団生活を形成せねば
生きていけない人間にとってのタブーなのではないかと思います。

個人的な主観で言えば、
「子殺しを行う親」はヒトではなく別の生き物とみなし、
人間社会から排除しなければならないと考えます。
これは「悪意による殺人」も同様です。

ということは、やはり「社会」、もっと言えば「生活共同体」のあり方を、
真剣に議論せねばならな時期にきているのでしょう。

一昔前までは、太古からの流れで、
日本の場合は「共同体」が子育ての一役を担っていました。
けれども、情報が溢れ、価値観の多様化が顕著になるにつれ、
「子殺し」「幼児虐待」などという犯罪が増えてきたのでは
ないかと推測します。

日本社会の緊急課題として、
「生活共同体の見直し、再建」を、
これら社会問題とを照らし合わせて、
示していかねばならない・・でしょうね。

投稿: コロラド | 2006.03.14 20:42

「社会が悪い」とか「地域が無関心」とかだけで片付く問題とは思っていない。
逆に「ひどい母親だ」とだけ言っても、それこそ出口がない。
じゃあ、どこを見ようか・・・。
個人だけを見ても「鬼!残虐!」ということにしかならないし、我々にもどうにもできない個人のことだし。
結局、外から関われる部分で見て、何か次の打つ手を考えるしか、出口は見えないのだと思う。

アホは一杯いるよ。
真夏にパチンコやってる間に、駐車場においた車の中で赤ちゃんが熱中症で死んじゃう。
私はこれなんか、悔しくて悔しくて。
子どもをさらって、橋の上から川に投げ込む。
こんなの言うまでも無く「死刑」でいいよ。

「まさか死ぬとは思わなかった」というのも、まともじゃない。この点でも「すでに正常じゃない」という気がするのだが。
別に親を擁護するつもりはないが、新聞の記事をまんま受け取るのもしっくり行かない。
いや、「正常じゃなかったんだ」とでも思わないとやりきれないのかもね。

「無念」という思いは強いよ。

投稿: O氏 | 2006.03.14 22:13

■さりさん

そうですね。むなしくなること、あります。
特に、声を上げない助けっていうのは、
なかなか気づくことができないわけで……。

■よっつあんさん

子どもの命が危険だという事実を知りながら
それを行政などが放置していたのであれば問題ですが、
今回は泣き叫んでいるといった虐待の徴候がなく
気づく人はいなかったようです。

育児で悩んでいたり、生活に困っている人のために
さまざまなサポート体制(これ自体が手を差し伸べている
ことだと思う)を取っていても、
それを利用せず虐待を隠している場合、発見は難しい。
それを回避するには問題のあるなしに関わらず、
定期的に各家庭を訪問し、家宅捜査に近いことをするしか
ありません。

手を差し伸べても拒否される、というのはそういうことで
行政や地域が行なうことには限界がある、という意味です。
アピールが足りないという問題があっても、
自己満足じゃないと思いますよ。

いじわるでいうわけではないのですが、よっつあんさんが
心理的にとてもつらそうだったとき、
私や他の人がカウンセリングや病院を勧めたましたよね。
でも、よっつあんさんは「行きません。大丈夫」とキッパリ。
私はそのとき「ああ、どんなに心配しても
他人ができることには限界があるんだ。
もしも病気だったとしても、本人が病院へ行く気が
なければどうしようもない」と思ったのでした。

これと同じだと思うんです。
「あなたは虐待しています。それは心の病気です」といっても
それを認めて本人が子どもとの関係を改善しようと
思わなければ無理なんです。

■コロラドさん

理想としては近所の人すべてが仲が良く、
いつも気楽に声をかけあうことができることです。
育児と仕事の疲れでイライラしているとき、
「子育ては大変よねえ」と声をかけてもらうだけで
なんだかホッとするものです。
実際、私自身も近所のおばあちゃんたちと交わす会話で
ささくれだった心がやさしい気持ちになることがありました。

地域の人たちが子どもやその母親に関心を
向けるだけでなく、子どもの親自身が地域とのかかわりを
拒否しない姿勢も大事なんじゃないかと思っています。

■O氏

私たちができることは何があるか?
それを考えていく必要はあると思います。
現在の児童相談所では虐待した親に対する
「家庭再統合」のためのカウンセリングや
プログラムは「やっていないに近いような実情」だと
学芸大の先生(週1回、児童相談所で仕事をしている)が
話していました。これじゃダメですよ。
虐待を減らすには早期発見だけでなく、予防と再発防止にも
力を入れるべきだと考えています。

投稿: poron | 2006.03.16 07:46

う~ん、ちょっと行き違いがあるようで。。。
私の読み違いもあれば、上手く伝えられていないようでもありますね。

ちなみに意地悪で言われているとは思いませんよ。
ただ、「行きません、大丈夫」と受取られていたんですね。
行きたいけれどあらゆる状況がゆるさなかったし、行くことで失うものの方が大きかったから
大丈夫と言い聞かせることにしたと言ったつもりでした。
さらに言えば、行きたくても行けないから行けと言われるのがプレッシャーにもなるんです。

だけど、poronさんの心配している気持ち、気に掛けてくれている気持ちがすごく伝わってきたので
とても感謝していますし、気に掛けてもらっているだけで随分と救われたんですよ。

だから、そう言った意味では手を差し伸べることが無意味になることはなく
むしろ手を差し伸べた側が自分の思うようにならなかったことを憂うのは
自己満足を求めているに過ぎないのではないかと思います。

で、今回の問題ですが行政云々を私は言いたいのではなく
泣き叫ぶ等の兆候がなかったとしても、保育園を休みがちになり、会わせてもくれない
、具合が悪いなら病院にも連れて行っていない状況を「おかしい」と強く思えない
在り方に問題があると言いたかったんです。

虐待死させられた子供という事実を見るならば、助けてくれるなら誰だっていいんだと思います。
結局手を差し伸べても拒否されるというのは「母親」に手を差し伸べているに過ぎません。
そういう意味を「幼児が虐待死させられた事実に目を向けるべきだ」のフレーズから読み取ったのでした。

おかしいことをおかしいと言えない、家宅捜査と言わないまでも隣の家の人がどうしているかもわからない
「個人主義」の成れの果て・・・そんな私を含めた希薄な社会の在り方、人の在り方がこの様な
親を作り、こういう事件に導いたと言っても過言ではないのではないでしょうか。

ちなみに育児や生活に困る等に限らず行政や法律の取る立場は
「権利の上に眠る者は保護しない」です。いくら権利を持っていてもサポート体制を敷いていても利用する気の無い人は知りませんよ
というなんとも冷たい考え方ですが
万人の千差万別な状況を調整する立場の行政や法律からすれば当たり前のスタンスとも言えます。

でも、それは干渉とは行かないまでも地域社会、いいえ、家族と言う最小の社会がきちんと機能してのことだと思います。

・・・と色々と考える点の多い問題ですね。
長々とごめんなさい。

投稿: よっつぁん | 2006.03.16 20:21

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