たまに電話をかけてくると、挨拶もそこそこに「アニキいる?」と夫を呼び出す弟。そんな彼が珍しく「アタシあて」に電話をかけてきた。時刻は夜の11時すぎ。弟の声はとてつもなく暗い。
「あのさ……、アネキに頼みっていうか、協力を頼みたいんだけど」
「え? なに?」
(まさか金の工面じゃないだろうね。いやいや、コイツは甘ったれでシャキッとしない男だけれど、これまで1度も金の工面を頼んだことはない。じゃ、なんだ? 女のことか? あっ! もしかして痴漢で逮捕されちゃったとか……じゃないよねえ。うーん、なんだろう。なんだろう。なんだろう)
「実はさ……」
「うん」
「友だちがさ……」
(なーんだ、友だちの話か。ん? まさか友だちに金貸してやってくれ、とかじゃないよねえ)
「友だちがさ……。やっちゃったんだよね」
「やっちゃったって? 事故ったとか?」
「……いや、その……」
「だから何なのよ! どうしたっていうの?」
「その、あの……。人を……」
「ひいちゃったの?」
「殺しちゃったんだ……」
(いいいいい……いま、なんていった?)
「人をね、殺しちゃったんだよ」
「……」
「……」
「……で、逮捕されたの?」
「うん」
「……で、その人とオマエはどういう関係なの?」
「ずっと前からのネット仲間で、旅行に行ったり、連絡を取り合う仲」
「親しいの?」
「うん。ここのところ、いくら電話をしても繋がらなかったんだ。それで、実家に電話をかけたんだけど、親御さんが電話口に出て、実は……って話してくれたんだ」
「ふーん。そうなんだ」
「でも、でもさ。そいつ、人を殺めるような奴じゃないんだよ。だから信じられなくて」
「犯罪を犯した人なんて、ヤクザでもなけりゃ、みんな『まさかあの人が』っていうじゃん。人を殺すような人じゃなくても、殺しちゃったってことはあり得る」
「確かにそうだね。でも、本当に信じられなくて、ネットで検索したらネットニュースにも出ていた……。自供したって書いてあった」
「そっか。悲しいね。で、私に何をしてほしいの?」
弟はただ、このことを話したくて電話をしてきたんじゃないと、わかっていたから、私はつとめて平静を装った。
「どうしてこんなことになったのか知りたいんだ」
「いま、お前にできることはないよ。警察に聞いたところで教えてくれるわけがないし、面会に行っても相手は会いたくないかもしれない。手紙だって出せば届くけれど、彼がそれを喜ぶかどうか……」
「逮捕の記事を書いた新聞社の記者に電話したらどうかな」
「よほどの大事件でもない限り、警察発表を載せただけで独自調査はしていないよ」
「そっか……。どうしてこんなことに……」
「逮捕された時期を考えると、もう起訴されて公判待ちだろうね。。逮捕されると、48時間以内に送検されて、その後、警察からこう留請求が出されて裁判所がそれを認めると、最大20日間こう留される」
「そうなんだ……」
「こう留中は警察の留置場に入れられ、起訴するための取り調べや証拠がためが行われるの。こう留中に自白したり、きちんとした証拠が揃い、公判で有罪に持っていけそうだと警察が判断すれば、そのまま起訴。そこからは留置場じゃなくて拘置所に入り、公判待ちね。公判で有罪になり、刑が確定すれば刑務所に収監される。オマエの友だちは、いまたぶん拘置所で公判待ちだと思うよ」
「公判待ちか……」
「なぜ、彼が殺人を犯したのか、本当に人を殺めたのかを知りたければ、公判を傍聴するしかないの。後は弁護士をつまかえて聞き出すとか」
弟の気持ちはよくわかる。心配する気持ちと信じたくない気持ち、どうして ?という疑問……。私自身も20代のころに、中学時代の友人が逮捕され、拘置所にいる彼と、ひんぱんに手紙のやりとりをしていたことがある。「そんなことをするやつじゃないのになぜ?」「どうしてそんなことに」と思いつつ、はっきりと聞けぬまま、手紙をやりとりしていた。まさか、アイツが……って気持ちなんだよね。弟は。
いま、弟ができることはほとんどない。友だちが人を殺したことはショックだろうが、理由は何であれ、罪は償わなければならない。
「オマエにとって大切な友だちであるならば、いまは親御さんに電話をかけて『僕ができることがあったらいってください』というだけでいい。罪を償って刑務所から出てくるのを待てるのなら、なにも急ぐ必要はないよ」
人生は長い。弟にとって彼が本当の友だちなのか、ただの知り合いなのか。それはきっと何年も後になってからわかるはずだ。
「ところで、アネキ……」
「ん?」
「逮捕とかこう留とか、やたら詳しいね」
「……(苦笑)」
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