ビックリが多すぎる
死亡寸前といいたいぐらい、仕事が立て込んでいる。ここ数日は、某月刊誌(読者ターゲットの年齢層高め)の飲食店取材。前回のラーメン店取材と同様、夫がお世話になっている編集部から「ご夫婦でぜひお願いしたい」と頼まれ、10件ほど抱えて飛びまわっている。今年になってから、どうもおかしい。ずいぶんと長い間、雑誌とは縁がなかったのに、1度も書いたことのない媒体から声がかかったり、新規の取引先から「大手クライアントのケタ違いギャラ案件」がドコドコと舞い込んでいたり、なんだかとにかく変なのだ。世の中、景気がいいんかい?
仕事の話ばっかりで何なのだけれど、先日はひっくり返りそうなほど、ビックリなことがあった。飲食店取材の初日のこと。その日は午前中に1軒、午後に2軒のアポをとっていた。1軒目の店に到着し、店に入る。「おはようございます、取材のお約束をしていたライターの○○です。どうぞよろしくお願いします」と挨拶をしつつ、出迎えてくれた女性の顔をふと見ると……。
(あ、れ?)
どこかで会ったことがあるような、ないような……。撮影機材のセットをする間、オーナーシェフと名刺交換をし、シェフの奥様とおぼしきその女性と軽い会話を交わす。
(この顔、この声、この身のこなし……。もしや、まさか!?)
彼女と話すうち、思い当たる人に行き着いたものの、どう考えてもこの場所にいる人ではない。きっと他人の空似ってやつか、と思うのだが、話せば話すほど疑惑は確信に変わっていく。
取材をしながらも、彼女から目が離せない。よくよく考えてみると、オーナーシェフの男性も見覚えがある。やっぱりそうだ、そうだよきっと!
「あの〜、もしかして昔、編集のお仕事をされていませんでしたか?」
テーブルクロスをかけていた彼女はパッと顔を上げ「やっばり! ○○○○にいたでしょう?」と叫んだ。なんと、なんと、オーナーシェフの奥様は、私が約14年前に、たった1年だけ勤めていた編集プロダクションの先輩だったのだ!
記憶というものはオソロシイ。やはり彼女だと確信したとたん、そういえば……とたくさんのことを思い出す。私が辞める少し前、彼女に「料理人の彼氏ができた」ことを思い出した。そして、編集部のみんなで飲みに行ったとき、酔った彼女を迎えに来た彼氏を、たった1度だけ見ていたのだ。
「あのあと結婚して、10年前にこの店をオープンしたのよ。まさかあなたが14年もこの仕事を続け、しかもカメラマンと結婚して、夫婦で取材に来るなんて!」
実は月末までに3つの仕事を抱えており、今回の仕事はお断りをしようと考えていた。しかし、夫がお世話になっている編集部であることや、私を勧めてくれた編集長のこともあってお引き受けしたのである。そして、たまたま担当した10軒のうち、取材日初日の1軒目でこんなことが起きるなんて……。「私がこの仕事を断っていたら?」「この店が取材を断っていたら?」「取材先リストに入っていなかったら?」「星の数ほどあるレストランのうち、なぜここが選ばれていたのか?」と考えると、偶然がいくつも重なって起きた再会といえよう。
……とはいえ、私がその編集プロダクションを辞めたのは、女社長と折り合いが悪かったことと、社風がまったくあわなかったのが理由だ。(その先輩はとてもいい人だけれど)正直いって思い出したくない過去でもあり、ちょっと複雑な気分でもあるわけで……。これは偶然? それとも必然?
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コメント
すんごい巡りあわせだ(笑)。運命の妙というか、「記憶」というものの不思議さというか。
たどっていけば偶然という要素も必然だったりしますから、やっぱり捉え方次第なのかも。
安定した文章をかけてかつ仕事を落とさない人が、編集サイドにとってどうしても好まれるというか・・・。そうなると仕事は古参のライターに集中してしまう、そんな現状があるんじゃないかなとか思いました。それでなおライター志望者が激減している状況でしょうから、今後ますます古参ライターへの仕事は集中化の傾向にあるんじゃないでしょうか。
もともと競争の激しく、淘汰の激しい業界でしたから、編集サイドが若手のライターを育てるような姿勢にならないと、今後もっともっと衰退していくのではないかとも思います(その必然性を感じるかどうかというのもありますけれど・・・)。
かといって、ネットで簡単に自分の意見を発信できる時代、好き好んで「物書き」を目指す人も、少なくなるのは仕方がないような気がします。
ライターさんの仕事って、ある意味「職人」の世界に近いですから、駆け出しの頃はとーっても大変だけど、要領がわかってくると、そのぶん魅力的な仕事だと思うんです。でも、この仕事の面白さって伝わりにくい。そんな業界かなあとか思ってしまいます。
何気に今回の日記、いろんなことを感じてしまいました。
投稿: コロラド | 2007.02.25 12:19
今、キチンとクライアントや発注者や取材者とまともに話が出来て
それぞれの相手とトラブルなく振る舞える人が減って来ていて、
それが出来る人のギャラが上がっていくのは不思議ではありません。
勢いだけで仕事をする人や(結局雑)、手当たり次第に受けるけど
要領良いだけで中身が無い人とか、自分のやり方に固執する人(そ
のやり方しか出来ない)が多いような気がします。
センスを否定する気は全くありませんけど、最後は「努力、根性、勇気」、そして
クライアントに対するサービスで対価を頂戴するわけで、仕事を
仕事として商品に変える事が出来ない人に大切な仕事をお願いする
編集者やクライアントが少なくなっている証拠でもありますね。
結構な事です。
カメラマンの世界でも愚痴っぽい普通の人や、生意気な普通の人は
みんな田舎に帰ったり、別の仕事につきました。
ギャラは20年間変わりません。量でやる仕事と質を求められる仕
事ははっきりしていますが、量でやる仕事で質をあげると仕事が増えますけど死にます。
質が求められる仕事で量を増やすと時々凄いクレームが来ます。
わはは、俺はどうしたらいいんだ。
投稿: ina | 2007.02.26 01:24
■コロラドさん
確かに編集者がライターを育てる時代ではないんですよね。私がその恩恵を受けたギリギリだったと思っています。ひさしぶりに2誌の雑誌でお仕事をしましたが、以前とは比べ物にならないぐらい「スケジュールが厳しい」ことに驚いています。
昔はじっくりと企画を立て、編集者とライター、カメラマン、デザイナーが「スピードよりも品質重視」「よりいいものを」と作っていたし、編集者とマスコミ論を交わすことも多かったのです。今は編集者が時間に追われていて、なんだかかわいそうなぐらい。もっと丁寧に物を作る環境を作ってあげたいなあ……と同情したくなります。
blog全盛のこの時代、若手を育てる人がいなくなると、ライターなんて職業はなくなってしまうかもしれませんね。うーむ、私も育てるべき年齢になったのかも。
■inaさん
わはは、と笑ってしまいました。本当にどうしたらいいんだ。ライターの世界も同じです。質と量、質とスピード、質とギャラでいつも悩まされます。それにしても一部のマスコミ関係者は礼儀だとか、言葉遣いとか、社会人としての常識がひどいことになっていて、それがトラブルの元になっているような気もしています。
だって、アポ入れして取材に行くとみんないうんですよ。「実はうちは基本的に取材は断っている。でも、あなたの電話での対応と企画書がきちんとしていたから」と。ええ〜、そうですか? 別にいままで通りなんですけど。と思ったら、最近気づきました。編集者からのメールのタイトルがね、「請求書ください」「データください」ですよ。手紙ではなく、メールの世代なんですよね。
私は若い子のようにフットワークのよい仕事はできませんが、役員秘書時代に叩き込まれたビジネスマナーと事務処理能力で、なんとか生き残っていきたいと願う今日このごろ。
投稿: poron | 2007.03.09 05:13