登下校で見えるもの
入学早々、娘が痴漢の被害に合って以来、登下校の見守りを欠かさない。過保護すぎるのでは? という意見もあるだろうが、6年間続けた保育園の送り迎えから開放され、ホッとした隙をつかれたともいえる犯罪。精神的ダメージは思った以上に大きい。
そんなわけで、朝は家から校門、夕方は学童の出口から家までを夫と交代で付き添っているのだが、当然ながら娘以外の子どもたちにも目がいく。毎日、様子を見ていると親ですら知らない、気づかないような、子どもたちの「変化」に気づくことがある。
ボサボサの髪でひとり走って行く子。声をかけると目をそらす子。ふくれっ面をしている子。登校中の寄り道がどんどんエスカレートしている子。いつもは友だちとにぎやかに歩いているのに、なぜかひとりでうつむいている子……。
いってらっしゃいと送り出した後、出勤のため先に家を出た後、親は子どもたちの様子を伺うことはできない。でも、子どもたちの小さな心は、ときにはシクシクと痛んでいる。たとえ、大人にとって「そんなことぐらいで……」と思うような、ささいな出来事であっても。
ある女の子は毎朝、泣きながら歩いていた。どうしたの?と声をかけると、涙をポロポロと流しながら、うつむいている。
何か嫌なことがあったの?
なんでもない……。
どこか痛いの?
(首を振る)
じゃあ、一緒に学校まで行こうか。
……。
そっと手を差し出すと、彼女は私の手をギュッとにぎった。道すがら、それとなく話を聞いてみると、小さな声で「学校に行きたくない」とつぶやいた。ああ、そうだったの。学校に行きたくないのね。そうなんだ。
ここまで聞いたところで、校門に到着。今日はここまで。また明日、お話しよう。さあ、いってらっしゃい!
彼女は娘と手をつなぎ、教室へと向かった。翌日も、その翌日も、泣きながら歩いてくる彼女を曲がり角で待ち、手をつないで登校する。同時に学童からの帰り道、「おうちに帰りたくない」とダダをこねる彼女を、家まで送り届けることもあった。
毎日、少しずつ話を聞いたものの、結局わかったのが「学校に行きたくない」「家に帰りたくない」ということだけ。推察するに、入学して慣れない環境に疲れていたらしい。ひとりで登校し、ひとりで帰宅する緊張感。大人にとっては「そのぐらい」でも、子どもにとっては想像以上に大変で疲れることなのだろう。
登下校で見えてくる、子どもたちの様子。親の知らない顔、親が気づかないこと。小さなココロの、ささいな変化を、私たちは見守っていきたいと思う。
……とカッコよく締めたものの、いつもいつも穏やかな気持ちでいられるワケもなく……。毎日毎日、かくれんぼをしながら登校する4年生の坊主たち! 人様のアパート裏手まで入り込み、駐車場を駆けまわり、大声で騒ぎ、遅刻ギリギリまで遊んでいる坊主たち! 一週間、片目をつぶって我慢していたものの、さすがにひどいので「遊んでいないで早く学校へ行きなさい!」と注意。そうしたら、なんと「ちぇっ、うるせーな」といいやがった! 誰に向かってクチ聞いとるんじゃ、ワレ。
アタマに来たので1キロ四方にまで聞こえるほどの大声で、私はどなった。
「早く行け!」
坊主たちは素早かった……。ピューンと逃げていった。通勤途中の人々がビックリして、振り返っていた。
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