« 2010年9月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年11月の記事

冬の怪談

 くも膜下出血で倒れた母は、10日以上たっても意識がはっきりせず、ときおり呼びかけにうなづいたり、手をにぎる程度の反応。脳へのダメージはしばらく経ってみないとわからないし、今はどうすることもできない。

 病院へ行き、ベッドのかたわらで胃が痛むような時間を過ごす私に、しのびよる影が……。

「あの……、申し訳ありません。10月の請求書なんですが……」

 手に紙を持った、看護師長さん。何だかとっても言いづらそうに話を始めた。

「3日分の請求です。自己負担額が……こちらなんですが」

 総医療費が約430万、自己負担3割で130万円超!

 不謹慎な話だが、SCU(脳卒中の集中治療室)で脳梗塞を起こしそうなほどビックリした。だって、3日分だもの!

 命の値段というわけじゃないが、3日間で手術を3回やると430万もかかるんだあ。すげえな……と、請求書に見とれてしまった。請求書から目が離せなくなったのは、生まれて初めての経験だ。

 たとえ自己負担額130万円を支払っても、限度額以上は高額療養費の払い戻しができることは知っているし、父の蓄えで支払えないわけではないが、還付されるのは4ヵ月後。それまでは毎月ごとの請求を支払い続ける必要がある。

 すぐさま市役所にすっ飛んでいき、あれこれと事情を話し、限度額適用認定証の交付申請を行ない、病院の会計で手続きをおこない、請求金額の再計算をしてもらった。

 これは平成19年にできた制度で、あらかじめ自己負担限度額の認定を受けておけば、それ以上の支払いをせずに済むというもの。入院が長引きそうなときや、今回のように緊急手術を行なったときなどは、請求金額がものすごいことになる場合があるので、早めに手続きしておくといい。絶対にいい。確実にオススメする。

 母が倒れて血の気が引き、請求書で背筋が凍る……。まだまだ、気が抜けませんよ。

| | コメント (3)

くも膜下出血

 ビーチク祭りの後に、深刻な話も何なのだが、10月末に私の母がくも膜下出血で倒れ、現在入院中。外出先で倒れ、救急車の車内から救急隊員の方が私に電話をかけてくれ(母が持っていた携帯の短縮ボタンでかけたらしい)、近所の病院まですっ飛んでいったのだ。

 医師から「グレード5(最重症)のくも膜下出血です。まずは脳内血腫を取り除き、脳圧を下げる手術をしますが、良くても植物状態、悪ければそのまま生きて手術室から出られないことを覚悟してください」といわれ、祈るような気持ちで2日間を病院で過ごした。

 2日間で2度の脳内血腫除去手術と、右脳の一部切除、動脈瘤からの出血をふさぐためのコイル塞栓術(脳動脈瘤コイリング術)を行ない、計15時間の手術を無事に終えたものの、くも膜下出血はとてもやっかいで、手術が成功しても、発症後2週間以内に血管れん縮(脳血管が縮んでしまう)が起き、それによって脳梗塞になるケースがあること、また水頭症や肺炎などの合併症で亡くなるケースが多いなど、まったく予断を許さない状況だ。

 現在、母は集中治療室で人工呼吸器をつけて、朦朧としている。1日に数回、私たちや看護師さんの声に反応して、右手をにぎって返事をするが、ほとんどは声をかけても眠っているようだ。

 後になって、グレード5のくも膜下出血だと、「手の施しようがない」と手術すら受けられない場合も多いと知った。母はたまたま駅前の店で倒れて、すぐに救急車を呼んでもらえたこと、搬送先が「緊急搬送の依頼を断らない」をモットーにする、脳卒中専門センターのある病院だったこと、金曜の夕方だったため、すぐに当直担当以外の先生方も集まってくれたこと(どうやら帰宅途中に戻ってくれた先生もいたようだ)、わずかな望みをかけて手術を決断してもらえたことなどなど、たくさんの幸運があり、命を取り留めることができたと感じている。

 しばらくは昼間、本業のライター仕事を自宅でこなしながら(ここ3ヶ月ほど、大きなプロジェクトが立て続けに入り、ずっと締め切りに追われていた。パートをするほどヒマだったのに〜!)、見舞いに行く毎日が続く。病院のパートはスタッフのみんなが苦労してシフト調整をしてくれ、2週間ほど休ませてもらえることになった。長丁場を覚悟して、がんばります。

| | コメント (0)

« 2010年9月 | トップページ | 2011年1月 »